今日は七夕。

こちらは先月末、
歌舞伎座地下木挽町広場に飾られていました。
今月の歌舞伎座では、「流星」が踊られています。
七夕の月の「流星」、すてきな趣向です。
踊りの上手な猿之助さんの「流星」です。
特に、父鬼、母鬼、子鬼、おばあさん鬼の踊り分けなど
鮮やかなことでしょう。
この4人の鬼の踊り分けには、
おもだか屋ではお面を使いますが、
坂東流では、角を使います。
数年前、坂東三津五郎さんが存命のときに、
この「流星」をテーマに、
踊りの解説をなさったことがありました。
そのとき、流星に扮して踊られたのは
坂東流の女性舞踊家の方。
父鬼の貫禄、母鬼が焼きもちを焼く様子、
子鬼のあどけなさ、おばあさん鬼の滑稽さなど
目に残っています。
しかし、三津五郎さんの「流星」は、
私はとうとう見ることができませんでした。
巳之助さんが昨年京都で踊っていますので、
再演の機会を待ちたいと思います。
おもだか屋の「流星」は、
先代猿之助さんで見たことがありました。
そのときの筋書の舞台写真です。

織女…笑也 流星…猿之助 牽牛…信二郎(現、錦之助)
流星の衣装が、よく知っているものと違います。
普通、水色の唐風の衣装で踊ることが多いのですが…。
筋書より…
「初演の流星は、素裸に襦袢を引っ掛け、
黄色のふんどしを長く下げた姿で、
しかも宙乗りで登場したという。
現在は多く唐装束で、ずっと上品になっている。」
「今回は、猿之助の新演出による上演である。」
…とのこと。
初演に近付けた形での、この衣装のようです。
なお、初演は安政六(1859)年、江戸市村座、
演者は市川小團次、作者は河竹黙阿弥だそうです。
ちなみに、このときは「流星」ではなく「夜這星」と言い、
「流星」と上品に改められたのも後年のことだそうです。
今回の公演、当代猿之助さんの「流星」の舞台写真が
こちらに掲載されています。→☆

こちらは先月末、
歌舞伎座地下木挽町広場に飾られていました。
今月の歌舞伎座では、「流星」が踊られています。
七夕の月の「流星」、すてきな趣向です。
踊りの上手な猿之助さんの「流星」です。
特に、父鬼、母鬼、子鬼、おばあさん鬼の踊り分けなど
鮮やかなことでしょう。
この4人の鬼の踊り分けには、
おもだか屋ではお面を使いますが、
坂東流では、角を使います。
数年前、坂東三津五郎さんが存命のときに、
この「流星」をテーマに、
踊りの解説をなさったことがありました。
そのとき、流星に扮して踊られたのは
坂東流の女性舞踊家の方。
父鬼の貫禄、母鬼が焼きもちを焼く様子、
子鬼のあどけなさ、おばあさん鬼の滑稽さなど
目に残っています。
しかし、三津五郎さんの「流星」は、
私はとうとう見ることができませんでした。
巳之助さんが昨年京都で踊っていますので、
再演の機会を待ちたいと思います。
おもだか屋の「流星」は、
先代猿之助さんで見たことがありました。
そのときの筋書の舞台写真です。

織女…笑也 流星…猿之助 牽牛…信二郎(現、錦之助)
流星の衣装が、よく知っているものと違います。
普通、水色の唐風の衣装で踊ることが多いのですが…。
筋書より…
「初演の流星は、素裸に襦袢を引っ掛け、
黄色のふんどしを長く下げた姿で、
しかも宙乗りで登場したという。
現在は多く唐装束で、ずっと上品になっている。」
「今回は、猿之助の新演出による上演である。」
…とのこと。
初演に近付けた形での、この衣装のようです。
なお、初演は安政六(1859)年、江戸市村座、
演者は市川小團次、作者は河竹黙阿弥だそうです。
ちなみに、このときは「流星」ではなく「夜這星」と言い、
「流星」と上品に改められたのも後年のことだそうです。
今回の公演、当代猿之助さんの「流星」の舞台写真が
こちらに掲載されています。→☆