三升と杏葉牡丹

顔見世大歌舞伎 十一世市川團十郎五十年祭
昼の部の演目予習、続き。

<若き日の信長>
駿河の大名今川義元が隣国尾張への勢力拡大を目指す中、
尾張を治める織田信長は、傍若無人なふるまいから、
うつけ者と呼ばれています。
父の法要に顔を出さず、村の子どもたちと遊ぶ信長。
責任を感じたお守り役の平手中務政秀は、
死をもって信長を諫めようと自害します。
その後、今川勢が尾張への進軍を始めますが、
信長は軍議に耳を傾けません。
実は今川と戦う機会を狙っていた信長は、
家臣の木下藤吉郎を呼び寄せ…。
大佛次郎による新歌舞伎の傑作で、
信長の青年時代を鮮やかに描き出しています。
十一世市川團十郎が海老蔵を名のっていた
昭和27(1952)年に歌舞伎座で初演されました。
十一世團十郎から受け継がれた舞台です。
(歌舞伎美人より)

今回は十一世市川團十郎五十年祭として、
十一代目を偲び上演されます。

これまでの上演記録を見ると、初演が十一代目、その後は十二代目團十郎、
そして当代海老蔵と、市川宗家により大切に伝えられた演目です。


20年前…十一世市川團十郎 三十年祭のときの筋書を保存していました。


夜の部の演目に、今回と同じく、
「実盛物語」と「若き日の信長」が並んでいます。


このとき、私は昼の部のみの観劇だったようです。
「若き日の信長」は十二代目市川團十郎さんが何度か演じていらしたし、
信長が秋の野で柿をほおばっている図が印象にあり、
見たことがあるような気がしていました。

しかし、あらすじなどを見てみると
実際には見たことがない演目だったようです。


~十一世市川團十郎の芸談~
「この芝居での信長は乱世の英雄というより、
乱世にあって生きなければならない人間の悩みを悩んでいる人
というように思われます。
自分の考えでやりたいと思えば周囲はまるで理解しない、
周囲が自分に対し何を欲し何を非難しているかは
よく分かっているけれども、それを受け入れることができないので、
自然反抗的な態度に出るのでしょう。」
「渡辺保 著 『新版 歌舞伎手帖』より」

海老蔵さんの信長、今回が三演目だそうです。
父を亡くし、市川宗家としての重責を負っている今、
信長の心境と重なる部分があるのではないでしょうか…



そして、昼の部最後の演目。

<曽我綉侠御所染ー御所五郎蔵>
御所五郎蔵は、もとは奥州の大名浅間家の家臣でしたが、
腰元皐月との不義を星影土右衛門に密告され、
皐月ともども追放の身となります。
俠客になった五郎蔵は、京の五條坂仲之町で土右衛門と再会し、
今は廓勤めをしている皐月をめぐり一触即発となりますが、
その場を甲屋与五郎が収めます。
旧主のための金策で苦心している五郎蔵の様子を見かねた皐月は、
金の工面のため、土右衛門になびいたふりをして、
偽りの愛想尽かしをしますが、皐月の本心を知らない五郎蔵は激怒し…。
(歌舞伎美人より)


この写真は、上記の筋書に載っていたもの。
五郎蔵は十一代目團十郎、
星影土右衛門は先代松緑、
留女は先代時蔵だそうです。