困難を持つ人たち

 

心理学深堀り

困難を持つ人

 

 

こんにちは泣き笑い

いろいろあって

春から通信大学大学院に

通学することになったたけこです。

 

たけこのコースは教育系のコースなので

心理学はそこまで突き詰めないのですが

学部生だった大昔、大好きだった臨床心理学の講師の先生の教えなど、思い出しながら

以前、ブログカテゴリーとして掲載させていただいた「つきまとい」について、たけこと、当事者のYちゃん、また、Yちゃんを取り巻く方の意見を集約して、考察として記録させて頂きたいと思います。また、

私たちは

臨床心理学や犯罪心理学のプロではありません。

あくまで、Yちゃんという一人の秘書さんの身に起こったことからの考察ですので

恋愛感情にまつわるストーカーや、騒音ストーカーなどのご近所迷惑なつきまといの被害の場合は、

こんな素人のブログを読む前に

即行警察に向かってください!

 

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ヅラ山さん(つきまとう女)の分析

 

まずは結論から述べます。

つきまといは止めさせられないと考察しました。(なんだーと思いながらお付き合いいただければ幸いです)

 

つきまとう原因ですが

大概悪意からつきまといます。

 

つきまとわれても

例えば、Yちゃんのように、どーでもいい場合は

悪意が届いていない状態です(苦い笑)

(むしろわざわざつきまとうように仕向ける

人にとっては、嫌がらせにはならないというか

ストーカーヅラ山さんにとって、なんの意味もない状況です)

 

そして、その悪意を分解すると

つきまとうことで

相手に対し

お前の行動を見張っているとか

常に監視し、落ち度を探してやる

という心的態度が考えられます。

 

しかし、嫌がらせは、相手が嫌な思いをしなければ嫌がらせにならないのです。

 

そのため、

ママ友マウントによるつきまとい

学校のクラスメイトによるつきまとい

などの嫌がらせは

 

無視

 

が一番効果があり

もし物理的に攻撃された場合は

すぐに警察署に相談し

相談履歴を貯めること

 

が重要だと考えられます。

 

また、嫌がらせの心理動機は(重要)

 

自分が上でいたい

 

つきまとうことを止めさせられないという事は、つきまとっている相手には自分をコントロール出来ない

 

イコール

 

自分の方が上である

 

という

 

自分より「下の順位の人間」を作りたい

自分より立場が低い人間がいないと自分が全否定される

 

という理由が考えられます。

 

なので、

つきまとうときの

ストーカーの顔は

 

自分より立場が下の人間がいる

という悦びに満ちた満足な表情

なのではないでしょうか。

(実際、Yちゃんにつきまとうヅラ山ばすみさんもニヤニヤしています。相手には全くされていないですが……。)

 

自分が誰かより優れていないと精神的に崩壊する。しかし、自分が誰かより優位に立てるようなスキルも人格も無い。

 

それなら!自分を変えるよりも

自分が見る世界を

妄想によって

自分の住みやすい環境に変える!

というところでしょうか……。

 

妄想によって歪められた世界には

住人がいなくてはいけないのです。

妄想世界の住人は、

つきまとう女が選びます。

「私が選んであげる!、あなた!そう、私が真似しやすい、誰からも評価が高いあなた!あなたは私のコピーなの。本当は私がオリジナルで、あなたが私をつきまとっているの!」

 

そう思うために

 

自分がコントロール出来る

自分がつきまとうことを辞めさせる事が出来ない人(と考えられる人)につきまとい

 

「ほら、あなたは、私の行動を支配出来ないでしょ?私は逆にあなたの行動を支配出来るのよ。あなたの行動や持ち物くらい、私は全て手に入れる事が出来る。だから、あなたは私よりも格下なの」

 

と、無理やり思い込む事により

精神的な何かを保っているのではないのでしょうか。

 

そして、本当は

自分が誰よりも無価値な事に気づいているので、つきまとっても、つきまとっても満たされないので、さらに空虚さを埋めるために、ストーカー行為をエスカレートさせるのかもしれません。

 

また、特に、中学校、高校までの学歴エリートの場合、訓練すると100点が取れてしまう評価が全ての中で

 

自分が一番で無ければ許せない

また、両親に許されなかった

という場合や、一番で無ければ人格を全否定された場合

 

一番は自分

二番になるくらいなら

一番を消す

という歪んだ人格形成にもなりかねないのかもしれません。

 

人間は、機械ではないので

エラーが生む有効な何かもあるのですが

 

機械的な試験・訓練

の評価が著しく、高く評価され、

人格の評価としても判断されるような環境で育ってきた人にとっては、

 

他人が楽しく暮らすことや

他人が評価される事について

正当な評価を出来ない心的構造なのかもしれません。

 

それは

「2番のくせに笑っている」

「強がり言っちゃって」

など、

 

人間の生活に必ず訪れる、

グレーな部分

感情の部分

2番だったけれど、喘息の発作が起きたのに、私頑張った!と評価する人もいれば、やったー!30番から2番だ!ファミコンのソフト買ってもらえる!!!という人など個人のドラマの部分)が見えない人なのかもしれません。

プロセスの人間ドラマには興味がなく、順位や結果にしか興味がないというか……。

 

そういう人間らしい損得勘定抜きの部分を

認識できない脳の構造に生育してしまっているのかもしれません。

 

たけこの学部生時代に受けた一般教養の

心理学で、講師の先生が心というものについて

 

「もし、ハエや、蚊が、餌の匂いや、光など、向かう方向について理由もなく、なんとなく、どちらかの方向に飛んでいくことがあれば

それは、ハエや蚊にも心があるということになる」

 

と解説されていました。

(なんとなくは心のある証拠だそうです)

 

たとえば、

「今日はなんだか、わくわくするから、行動的なジーンズで授業に行こう♪」とか

 

たけこ

「今日の寮の晩ごはんなんだろうな、でもさ、学食よっちゃう?」

友人Yちゃん

「いいねぇ!軽くなんか食べて行こう」

というように、

自分の気持ちや、協調してくれる友人がいる場合、自分の心はとても満足で安定します。

それは、自分が自分の責任において

「今日は体育がないからジーンズでも大丈夫」

「寮母さんの美味しいごはんを食べられるくらいの胃袋の余裕は残しておこう」

という判断によってバランスが取れている状況だからです。

 

しかし、気持ち・気分について、協調してくれる自分自身や友人がいない場合

 

ヅラ山さんによく似た傾向のある級友は

「いや、寮のルールなので。夕飯残すのはルール違反ですし」

「それに、ジーンズなんて、女子大生として大学に履いてくるのはどうなんでしょう?」(昭和に近い時代の女子大はこのような方もいました。)

 

と、ルールや他人の基準に自分を無理やりはめ込むため、しばし、級友とのイザコザがありました。(寮母さんに買い食いを告げ口するとか、服装について風紀が乱れているなど、ホームルーム活動で提起するなど。結局彼女もみんなが履いたら、ジーンズで講義受けるようになりましたが…。)

 

たけこは、ぶっちゃけ、どーでもいいので笑い泣き

決まったことに従い、あとはみんなで戦ってくれ。と適当でしたが

 

自由を求める友人とメラメラ

全てのルールを守らなければ満足できない級友との攻防はメラメラたけこ達が学部を去るまで続き、

ちなみに現在は、自由を求めた友人は同窓会幹事など積極的に引き受けお付き合いが広く、

ルールを守りたい友人は、今、一体どこにいるのかわからない(ご実家は健在ですのでご実家に行けば安否がわかるが、あまりみんな近寄らない)状況です。

 

どちらの級友も良いところがたくさんありましたお願い。しかし、ルールを守らなければという友人は必ず「父がダメという。母が教師になれという。」など、自分の将来のことについても、両親の基準が全てでした。お勉強は本当に努力の人で、成績も良かったです。

 

お題の

困難を持つ人

についての結びですが

 

人間関係に困難を持つ

誰かにマウント取らなきゃ死ぬ!?

ような方々は笑い泣き

 

「誰かの基準に自分を当てはめて常に生きている」ということになりませんか?

 

コワい女の登場人物、Yちゃん、Bちゃん、Dさんなどは、常に、自分自身の考えや責任において生きている。

たけこも、夕飯買い食いした友人も、自分の責任で生きている、ということになります。

 

だって、自分軸で生きていたら

真似すること、つきまとうこと、

必要ないですよね。

マウントとか、何?マウンテン?

あの美味しいチョコのヤツ?

みたいな。(※九州にお菓子パンがあります)

 

自分にも必ず心があるので、誰かの評価に縋って生きるってつらいですよね。

だって、朝早くから、夜遅くまで、ガリガリに細くなるまで、自分の考えも及ばない、別の脳を持つ、別の思考によって生きる個体の行動を監視し、つきまとうのに必死なんですよ?

自分と別の脳みそを必死に追いかける……。

カオス。

 

絶対、苦しいですよね。

体も心も。

 

それは、ヅラ山さんという人自身が、

また、つきまとう、真似する女たちが

常に毎日、

心の中に

困難を持っている

ということ

以外に

表現が考えられないのです。

 

そして、空虚さを埋めるためには

つきまといを

やめることができないのです。

 

彼女たちの今現在の心のままでは……。

 

続きます。