お供え物の干菓子 | 鈴木雪弥の心はいつも12歳。

鈴木雪弥の心はいつも12歳。

鈴木雪弥です。とりあえずコーヒー飲んでから説明文考えます。
いつまでも少年の心を失わなさすぎ(!)な、おもちゃ箱をひっくり返したようなブログにしたいですね。

西の方角に出窓があり、とりあえず鈴木家先祖代々の仏壇よりお供えのお膳立てを出張させてみた。

 

なお、筆者は無神論者であるが、宗教は方法論であると解釈しており、ご先祖様になりかわり“代参”しているにすぎない。

 

仮にご先祖様がキリスト教なら、自分は信じていなくとも、折にふれ、たぶん、似たようなことをしているはず…。

 

もしもイスラム教なら…これはありえない。偶像崇拝を禁じており、絵が描けなくなるし、映画が撮れなくなり、女性の服装の露出度は低いし、酒は飲めんし、これはキツいんだよね。

 

わが国は多神教の国、八百万の神の国であるという考えに基づき、落としどころを見つけている。

古代ギリシャや北欧神話の世界観も同様に。閑話休題。

 

しいていえば、ただ一軒の家のための先祖崇拝というべき“鈴木教”信者といえば、そうかもしれん。

とどのつまり、神も仏も助けてくれないが、困ったときのご先祖様頼みはありがちなハナシだ。

中興の祖ともいうべき曾祖父なきあとは必要以上に神格化されてしまっているきらいはあるけれど。

ウチは血筋なのか合理主義者の家系なのか、祖母の代まで宗旨の関係で墓がない。

それもまた是とせねば。バチ当たりな子孫としての自己弁護だが。

 

 

 

そんな訳でお供えの干菓子ではあります。でもって、スーパーや和菓子屋さん等で売られてるお盆のための砂糖菓子はわざわざ買わないあたりがいかにも鈴木流なんだが…。