摂理
摂理と関係あるが
摂理にいて
喜びを感じることが
多々ある
その中で今日話したいのが
苦しむことの喜び
である
こう書くと
侍のことを
Mだと思う
読者もいるかもしれないが
そういわれてみたら
そうなのかもしれないという
不思議な感覚におちいる
まあそれはいいとして
元々体を鍛えたり
限界に挑戦することが
好きだったのだが
苦しむことを
喜びとまではしなかった
生きていく中で
大変なこと
困難なこと
様々にあるが
それは摂理にいても
同じことである
摂理にいるからといって
困難や
苦労は
なくなるわけでなく
むしろ摂理にいるからこその
困難や
苦労も
ある
だが摂理にいることによって
その困難を
喜びに変える
力を得ることができた
聖書にも
困難は(中略)希望をうみだす
と書いてあるし
先生も
多くの困難をばねに
今までやってこられた
すべてを喜びに変える力は
創造しているよりも大きい
近所の猫と戯れていて
何故か頭を噛み付かれて
なんとかこれも喜びに変えようとしているが
一筋縄ではいかないことを
かみしめつつ
スラダン的に言うと
新広島に到着した
新幹線桜木
とは関係ない