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幸せ家族計画!

しがないいち新生児科医のプライベートなブログです。

雪嶺蛍の秘密のダイアリー★-2010111314550000.jpg

カレーを煮詰めていたらドライカレーみたいになった。鳥の巣には見えまいか。

最近、カレーとパスタとそばが多い。つまりはまともな料理をしていない。栄養バランスにはそれなりに気を配っているけれど、忙しい時に手早くそこそこの料理が作れないようでは、とても実用的なクッキングとはいえない。

面倒くさがらずにクッキングに勤しみたいと思いつつも、二の足を踏んでしまう自分が恨めしい。

ところで、ここ数日ブログの語り口を「ですます調」から「である調」に変えてみた。特に意味はないけれど、web上のキャラクターというものが少し変わったかもしれない。
先天性の疾患を持って産まれてきた子供に対して、親が「いっそ死んでしまえば良かったのに」と発言しているのを知り、とても悲しい気持ちになった。

もちろんこの発言だけを受けて「ひどい親だ」と一方的に責めることは出来ない。どのような経緯・背景があったのかはわからないし、どのような状況に置かれているのかもわからないのに、ただ一面だけを見て人を糾弾するのは間違いだ。

子供が生まれ付き病を持っているということは、一体どれほどの辛さか計り知れない。精神的なものだけではなく、治療費や諸々経済的にも苦しくなる。社会で生きるためにいろいろな制約もかかる。病気があるのとないのとでは、明らかに親の負担が違う。ある意味で、親は不幸を背負うことになる。

だから、悲観するのは当たり前だし、場合によっては子を憎く思ってしまうのも仕方がないことではあると思う。

でも、子供からしてみれば、自分に病気があってもなくても、それがすべてであり、自分が幸せか不幸せかを決めるのは今後の価値観の成熟によって決まる。そして、それを先導するのは紛れもない親なのである。

新生児の命を守り、可能な限り後遺症を減らす、というのが新生児科医の一本の柱だとすれば、悲しみから這い上がり、子供を幸せに導いていくための親と子の関係を作っていくことが、もう一本の大きな柱だと痛感した。
NICUで新生児と接していると、赤ちゃんがたまたま可愛いのではなく、赤ちゃんを可愛いと思うように我々の本能はインプットされているのだと実感するほどに、何をやっていても彼らは可愛い。

まず、寝顔が可愛い。これは大人であってもある程度そうではあるが、新生児の場合その比ではない。あくびなどすると尚良い。

ミルクを飲む顔も可愛い。とても一生懸命飲んでいる様がいじらしい。

診察のときの把握反射(手のひらを指で押すと握ってくる)や吸綴反射(口に指を入れると吸い付く)は、ただの反射だと分かっていても心を鷲掴みにされる。

泣き声もいい。幼児のやかましいそれとは違い、人の琴線に触れる周波数ではかない声で泣く。母親なら、構わずにはいられないだろう。

ウンコするときですら可愛い。新生児は「いきみ」と肛門の筋肉との連動がうまくとれていないため、顔を真っ赤にして必要以上に頑張る。はじめ見たときはびっくりしたけれど、二回目以降はなんだか応援すらしたくなる。

一つ一つ冷静に取り上げてみると、何が可愛いのかさっぱり分からないけれど、人間の本能はそういう風に出来ているらしい。連れ去り事件が後を絶たないのもうなずけてしまう。