せつらのブログ -445ページ目

しかし

きゅ~け~中です。

今日もお仕事です。

年末の梅田もかなり人が多いです。


で、続きです。

初めて同じような症状の病気があるとは知ったのですが、当時は心療内科というような、こじゃれたものはなく、多分そのころは、精神科、みたいなのだったと思うのですが、行く勇気もなく、半ば自分の病気を諦めてました。


車に乗ってても、突如発作に見舞われることもあり、高速に乗るのは私にとっては命がけでした。
デートをしていても、人混みを出来るだけ避け、映画に行った時もひどい時は半分以上内容を覚えてないこともありました。

私の場合、発作の兆候から始まり、発作に見舞われても10~15分くらいで落ち着く、という繰り返しでした。

鬱にもならなかったので、パニック障害といっても比較的軽いほうだったのかな。


しかしストレスはかなりのものを抱えていた記憶があります。


次回予告

「退学」

新聞記事

電車にまともに乗ることが出来なくなってからは中型二輪の免許をとり、バイクでの行動がメインとなりました。

当然教習所での講習中も発作に見舞われることもありましたがなんとか乗り越えれました。


当時はどんなに発作に見舞われて、倒れそうになったり、吐きそうになっても、実際に倒れたり吐いたりすることがなかったので、相変わらずまわりの理解を得れずに、自分の体にだけ起こっている、特殊な状況と考えるようになってました。


そんなある日、何気に新聞を読んでいた時、ある記事が目にとまりました。

読んでみると全く症状が一緒だったのです。


『空間恐怖』


という名前で紹介されてました。

その時は全く

『パニック障害』

という文字は出てなかったように記憶してます。
あぁ、やっぱり自分と同じ症状があるんだ、

と少し希望の光が差したように思いました。


次回予告

「しかし」

大学に通えない

今、仕事帰りです。

梅田は朝も昼も夜も人があふれてる。

どこからこんなにわいてくるのだろうか。


で、続きです。

講義に出るのが、だんだん苦痛になっていき、なんとか大学に行っても、講義に出ずに、図書館で過ごすことが多くなってました。当然トイレが近い場所で。

図書館でも容赦なく、パニック発作に見舞われることもありました。


そのうち、足が学校から遠ざかり、夕方からバイト、終わってから朝までバイト仲間と遊び、朝帰りして昼まで寝て、そこからパチに出動し、夕方からバイト、という生活の繰り返しになりました。

遊んでる途中や、パチの途中でも、やはり容赦なく発作に見舞われることがありましたが、教室みたいな強制的な空間にいるわけではないので、まだ幾分かはましでした。

そして大学入学して最初の1ヶ月で、4分の3授業を休んだのでした。


次回予告

「新聞記事」