父が腸閉塞で入院していた時の話。
四人部屋の向かい側に、50代くらいの男性患者さんがいらした。
いつもカーテンを仕切って、人と関わりたくないという雰囲気に
満ち満ちている方だった。
その日、珍しく、その男性に見舞客が訪れた。
何か外交のお仕事をなさっておられるような、きちんとしたスーツに
大きなカバンを下げた女性であった。
少しカーテンを開けておられたせいか、ひそひそと話すささやき声が
漏れ聞こえてくる。
と、突然、「仕事、仕事て、俺はほったらかしかっ、お前はええわな。自由にできて」と
男性が女性を怒鳴りつけた。
女性はひたすら耐えている感じで俯いていたが、しばらくすると
無言で病室を出ていかれた。
察するに女性は男性の奥様で、仕事が多忙でなかなかお見舞に来れないと
言う旨のお話をされたのだろう。
「嫁はんが、がんばって仕事してくれてるから、自分はこうして入院できとるのに
あんなこと言うたらあかんわな。感謝せな」と父が私にささやいた。
「そうだね」と答えながら、わたしには、その男性の気持ちが少し見えたような気がした。
俺だって元気な時には稼いでたんだ。
少し寝込んだからって、お前が大黒柱みたいな顔すんな。
なんぼ忙しいから言うて、俺をないがしろにすんな。
俺がやいのやいの言わんと見舞いにも来やがらんで。
向かいの患者のとこには、毎日娘が見舞いに来とる。(←私の事)
あそこの娘も仕事しとるらしいけど、時間やりくりしたら来れるんや。
それに比べてお前はどうや。
来たと思うたら、ほんまに顔見るだけや。
介護しようという気はないのんか。
お前はええよな。自由に動けて。
俺はいつ治るんや。
ほんまに直るんか。
俺かて、はよ退院したいんや
こう思ってらっしゃったかどうかは、わからない。単なる私の想像だ。
けれども男性の怒鳴り声の中に、そういう思いがあふれていた。
奥さんが、さぞお辛いだろうと思った。
私は幸い、今はまだ元気に過ごしているが
将来、病に伏した時は家人に当たらず愚痴らず、飄々と
感謝をしながら闘病する良い病人になりたいなと思った。