昨日、お風呂の話題が出ましたので

その流れで思い出話をおひとつ。

 

生家は、五右衛門風呂でありました。

 

風呂の底が鉄釜になっており、水を張って薪の火で直火炊きする

という原始的なもので、釜底に足が触れると大やけどをするため

湯船のサイズより一回り小さい分厚い正方形の板を浮かべ、

その上に乗って湯に浸かるというシステム?でありました。

 

当時は住込みや通いの職人さんが仕事終わりに一斉に入るため

民家にしては少々大きめの風呂部屋は、

母屋とは外廊下でつながった離れになっていました。

 

その離れの横に薪やコークスを積み上げた、ススで真っ黒な小部屋があり、

時代劇で見るような風呂の焚口がありました。

 

焚口の残り灰を鉄の熊手で掻きだし、小さめの薪を3本ほど組んで置き

新聞紙にマッチで火を点け、その薪を燃やします。

火種が大きくなってきたら、小さいスコップでコークスを2杯ほど放り込み、

あとは湯が沸くまで時々、薪をくべます。

 

これは私が小学2年生になったときの家事手伝いのひとつでした(笑)

今なら「子供にそんな危ないことさせて」と非難されるかもしれませんが、

当時は「もう小学生なんやからできるやろ」ぐらいの大らかなものでありました。

 

幼稚園までは、母と入浴していましたが、ある日、母が体調を崩したので

初めて父と入ることになりました。

 

まず、かけ湯をすると父が「湯船に浸かって100数えろ」と命じました。

 

一人で、五右衛門風呂の浮いた板に乗り、バランスを取りながら

板を湯船の底に沈めて肩までつかります。

板のど真ん中に乗らないと、板が横倒しに浮き上がって来て

足が釜底に触れるので、こちらも必死です。

 

その姿を見ていた父が一言 「ほおー、うまいやんけ」と誉めました。

100数えろと言われましたが、湯が熱く、30ほどで上がろうとすると

「100数えんと、お母さんに叱られんで」と言うので、また浸かります。

 

父はというと風呂のへりに腰掛けて、足湯だけにしているので

「お父さんも入らへんの?」と聞くと

「熱いやんけ」と言いました。(笑)

 

過保護な母は、洗髪というとシャンプーハットをかぶせて、

顔に湯がかからないようにしてくれていました。

 

「あっ、シャンプーハット、忘れた」と私が脱衣所に取りに行こうとすると

「そんなもん、いらん」と父。

「耳をふさいで、目を閉じろ~」というなり、頭から湯がザバーッ。

 

驚いた私が火のついたように泣き叫び、飛んできた母親に

父はこっぴと゜く叱られて……。

翌日から私は5歳で一人で入浴することになりました。(笑)

 

 

というのが、父と入浴した最初で最後の想い出です。

 

脱衣所に、手のひらほどの大きな蜘蛛がいつも居たのも

なつかしい(笑)