高1になり同級生たちがアルバイトを始めた。

その楽しそうな話に私もやってみたくなり、

母に相談すると、意外にもすんなりOKしてくれた。

 

それまで家業の自動車修理業の洗車などの手伝いやら

寝たきりで介護中の祖父が同居していたりだったので

「家の手伝いをしないなんて」と反対されるかと思っていた。

 

「バイトやから言うて、ええ加減にしなさんなや。

先方さんにはご迷惑をかけんように

最期まで責任もってやるんやで」

 

バイト先は、通学途中で見つけた工場と田んぼに挟まれた

自宅の一部を改装した小さな喫茶店だった。

 

ドアに日曜日のみアルバイト募集とあったので、面接に行くと即日採用してくれて

では次の日曜日からということになった。

 

ところが行って見てわかったのであるが、工場町にあるため

日曜日は非常にヒマであった。

近所の常連さんが数名、モーニングを食べに来られると

それからはもう誰も来ない。

 

日がな一日、カウンターに座って紙ナプキンを折るだけで

なぜ自分が雇われたのか、わからないままその日は過ぎた。

 

この喫茶店は30代後半のご夫婦と、小学一年の息子さんの家族経営の店だった。

通常は主婦パートさん一人がおられるが、日曜はお休み。

マスターも競馬に行くので、お店の切り盛りはママさんが一人でする。

 

でも日曜日はお子さんが家に居るので、面倒を見たい。

そこでお店の留守番替わりに私は雇われたというわけらしい。

 

マスターは自分容貌がかなりのご自慢の様子で、

店にいる間はしょっちゅう壁掛けの鏡を覗き込んでは、

胸ポケットからクシを取り出して髪を撫でつけていた。

 

めずらしくマスターが店番で、ママさんがちょっと用事で外している時だった。

 

ランチ時で、お客さんが来て、ピザトーストを注文した。

「俺がやるから」といそいそと用意し始めたのでお願いして任せたら、

トースターから煙がでてきた。

 

「ありゃありゃありゃ」と言いながら焦がしたまま皿に載せて出すので

お客さんに怒られたりしていた。

そこにママさんが戻られて「もう、この人は」と言いながら

お客さんに謝って、新しくピザトーストを焼き直していた。

 

マスターがふだん私に声をかけることはなかったが

雨の日に「こんな天気の時はオモババ言うて

雨に強い馬が勝つから大穴が出るねん」と教えてくれた。

 

マスターから教わった唯一の言葉である。

 

ママさんは姉さん女房らしく、自分の容姿にあまりに自信のないご様子で

いつもマスターに遠慮しているような節が見えていた。

 

そのママさんが、マスターの浮気の愚痴をたまに珈琲を飲みに来ていた

主婦パートさんに時々こぼしているのを聞くのはなんだか虚しかった。

 

息子ちゃんが、淋しくなってお店に来た時

来客がなければ一緒にカウンターに座って宿題を見てあげたりした。

「ぼく、コーンフレークに牛乳かけて、ぐちゃぐちゃにしたのが

好きやねん」と言って美味しそうに食べていた。

 

「この子は喘息でねえ」とママが心配そうに、息子ちゃんを見つめていた。

 

結局、私はそのお店を三か月で辞めてしまった。

店での話を私から聞いた母が「あまり子供に聞かせたくない話だわねえ」と言い、

私も少しいたたまれなかったので辞めさせてもらった。

 

その後、何か月かしてに駅でばったり主婦パートさんとお会いした。

「あらあ、久しぶり、元気だった?あ、そうそう、あの喫茶店、閉店したのよ」

 

自分がが辞めたせいかと焦ったが、

「ちがうわよぅ、離婚なさったの。あのマスターでママさん、よく辛抱されてたわ」

 

あれから40年も経つのに、いまだにミルクがけコーンフレークを見ると

名前も忘れてしまったあのいがぐり頭の少年を思い出し

鼻の奥がつーんとするのである。