小学2年のとき、母がピアノを習いなさいと言った。
同じ町内の音大を出た御姉妹が、自宅で教室を開くという。
私はまったくもって気が進まなかったが、幼馴染のトッチャンにも誘われて、
週一回で一緒に習うことになった。
第一回目は、優しい妹先生が和音を弾いて、それが何かを当てるゲームや
お歌をうたって楽しかったのだが、
2回目からは厳しい姉先生の指導となり、どんくさい私は叱られてばかりであった。
「この指が悪い」と左手の小指をぴしゃりと叩かれ、うつむく私に、
「もっと家で練習しなさい」と先生があきれたようにため息をついた。
当時から我が家にはピアノがなかった。
隣家に住むサヨコ叔母の家のピアノを借りなさいと言う。
日中は仕事で不在の伯母から合鍵をもらい、好きな時に弾きにおいでということだったが、
夜勤明けで昼間寝ている年の離れた従兄に申し訳なく、なかなか気軽には通えなかった。
ある日、父に「ねえ、ピアノ買ってよ」と言ってみた。
「トッチャンとこには、ピアノあるねんで」という私の言葉に父は反応し、
「買ってもええけど、ほんまに続けるか? すぐに飽きるんやったらあかんで」と言った。
そう言われると自信はない。
「やっぱ、要らないや」 「なんや、それは」 で話は済んだ。
姉先生に叱られ続けながら、なんとか秋の発表会になった。
母は奮発して、子供用の白いふわりとしたドレスと赤い革靴を買ってきた。
全然弾けないのに、こんな派手なドレス着てと、引け目に感じながら
当日は舞台の上で 「ぶんぶんぶん はちがとぶ」を弾いた。
録音されたレコードを聞き返すと、何度も何度もつっかえていた。
自分より小さい子たちは、もっとスラスラ弾いている。
ピアノはもう辞めると言ったのだが、母は許してくれなかった。
*
その日、お迎えに行くと、トッチャンは熱を出して寝込んでいた。
「ごめんね、せっちゃん、今日はトシコは休ませるわ。せっちゃん一人で大丈夫?」と
トッチャンのおばさんに言われ、「大丈夫」と答えて家を出た。
ピアノ教室に一人で行くのはいやだった。
薄暗さの増した堤防上の道をトボトボ歩く。
カバンに入れたバイエルが重い。
突然、何かカサカサしたものを蹴っ飛ばした。
見れば、ペチャンコの干物になったカエルの死骸であった。
ギャッと悲鳴をあげると、なにか、何もかもがいやになった。
そのまま踵を返し、途中にある公園で時間をつぶしてから帰った。
家に入ると、母が烈火のごとくに怒って待っていた。
「どこ行ってたんや、あんたは ! お教室にも行かんと心配したでしょ!」
お尻をバチンと叩かれて泣き出した私に
「そんなにイヤやったら、もう行かんでよろし。月謝がもったいない」
と母が言った。
私は大泣きしながらも、「ああ、よかった」と安堵した。
それから半世紀が経ち、音楽好きになった私はやっぱりピアノを習っておけばよかったと
今更ながらに後悔している。