世の中に存在するさまざまな言葉のなかで、自分がもっとも嫌悪する言葉は「服従」かもしれない。服従とは「階層的な社会システム(政府・軍隊・企業・家族など)において、人が自分より高地位にある他者からの命令や指示に従うことをいう。とくに権威に対する服従は、明確な形の社会的影響として理解される。「ミルグラムの実験」というのがある。アメリカ・イェール大学の心理学助教授だったスタンレー・ミルグラムは、ボランティアの被験者がどこまで権威に対して服従するのか実験した。

1963年に行われた「ミルグラム実験」は、「服従実験」または「アイヒマン実験」と呼ばれ、「服従の行動実験」というタイトルの論文にまとめられた。この服従実験によって得られた結果は当時の社会に大きな影響を与えた。ナチスの強制収容所で看守をしていた人たちの裁判について、有力な判断材料になる結果をもたらしたことから、社会的にも有益な実験と考えられた。その一方、服従実験に参加した被験者は多大なストレスを負わされたことで、研究倫理として問題があると物議も醸された。

 



ミルグラムがこの実験に至った経緯というのは、イギリスの物理学者で小説家のC・P・スノーが1961年に述べた、「反乱の名のもとに行われる犯罪よりもひどい犯罪が、服従の名のもとに行われてきた」という言葉に刺激され、触発を受けたという。ミルグラム実験が行われたのは、第二次世界大戦中におけるドイツのナチス党によるホロコーストによって、罪のない数百万人のユダヤ人が強制収容所施設内のガス室で大量虐殺されていたことが白日の下に晒され、社会的に大きな問題となっていた。

ミルグラムは、「人間は権威のある者から下された命令に対し、どこまで服従するのだろうか」という疑問を解決するための手段として服従実験を行った。ナチスの強制収容所で看守をしていた者達も、権威者からの命令により虐殺行為を行っていたことになるのだが、こうした命令によって突き動かされる人間は、元来的に悪魔の様な性格をした者なのか。それとも、誰もが権威によって命令が下されれば、悪魔となり得るのか。こうした疑問をミルグラムは実験によって解明し、証明しようと試みた。

 



どのような実験方法であったかは省略するが、権威者の指示に従う人間の心理状況を実験したものであるが、「実験に参加した被験者は多大なストレスを負わされた」と記したように、現代では許されない実験方法であった。実験参加者は教師役とされ,「学習実験」という名目で募集した一般市民を大学の実験室に招いて行われた。2015年には『アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発』というタイトルで映画にもなっている。実験結果における服従率が0%~93%まで大きく変動していた。

こうした数字から見えるのは、個人の行動が状況的要因(実験者の指示内容・課題の性質など)によって強い影響を受けることを明確に示していることになり、実験の途中で権威に対する不服従を示した被験者も少なからず存在したことからしても、個人の性格や価値観などの要因も無視することはできないとの結果をあらわしている。軍隊や企業など現実社会における階層的社会システムの中で、権威への服従への圧力は職業的にも強く働くものであるが、その影響が甚大であることに変わりはない。

 

     

服従の研究は、戦争における上官の命令による一般市民への攻撃、航空機のコクピットにおける機長や医療場面における医師など、権威が強すぎることの否定的側面とその心理的メカニズムを理解するうえで重要な貢献を果たしている。ここにも書いているように、自分は自我が芽生えた以降は、傲慢で支配的な母親に服従することはなかった。生を受けて以降、目の前にはだかる親という絶対権利者に奴隷の如く支配され、己のかけがえのなき心身をボロボロにさせられてたまるか!」の気概があった。

あって普通、あるのが当然と考えるが、ない人間もこの世に存在する。その違いとはなんであろうか?親の絶対的権力に対し、内心では疑問に感じながら、上辺では服従する子どもは少なくない。それはなぜなのか?親子であるとか家庭であるとか、そういった一つの観念の中に投げ込まれ、服従する子どもは自我矛盾をきたすのではないだろうか。親子の信頼は「血」が生み出すものではなく、主観によって作られるわけで、信頼していた親に裏切られたら、信頼関係が消滅するのは当然ではないか。

何度も嘘をつかれたことで母親を信用しなくなった自分であった。親は子どもとの約束を守らなくていいという決まりも道徳もない。「オオカミ少年」の寓話にあるように、一度の嘘はともかくとしても、何度も嘘をつき続けると「またか!」と誰も信用しなくなる。信用されない者が「お金を貸してくれ」といわれて貸すものはいない。子の親への絶対服従で問題になったのが、バイオリニストの五嶋みどりだった。みどりの母である五嶋節はただものならぬ母親であったというのは、噂の粋を出ない。

子どもを幼児教育に通わせる母親の多くが、子どもを教室に放り込んであとは任せきりというのは、ある種日本的な考えであろう。任せた以上余計な口を出すべきでないというのが日本的な考え方。ところが節はちがった。自分の子をどう教育しようが他人にあれこれ言われる筋合いはない。私の子どもは私が教育するという考えだから、他者との間に軋轢を生じることになる。みどりは8歳のときにジュリアード音楽院の名教師にに師事、才能も有ったので学費全額免除の特待生として入学を許可された。

 



ところがみどりはジュリアードを辞めた。教授との確執から節が止めさせたなどのうわさが流れたりし、節は名誉棄損で法的手段迄考えた。そのとき、みどりがしじしていた教授はこういった。「この国で裁判はいくらでも起こせます。が、力のないものは負けるのです」。学校との間が穏便ならぬこととなり、教授はみどりを切った。のちに節はこう述べている。「私は本当にひどい母親でした。結婚した著直後から離婚を考えていたし、今のみどりの精神に影響しています。ものすごく後悔しています」

ジュリアードとの確執以降、みどりは人を信じなくなっていた。世の中にはいい人もいると知っても「ママが私に人を信じないように育てた」といっている。拒食症の記事で騒がれたとき、プレッシャーにつぶされたとか、母親批判の記事が多く出た。そんなことは人にいわれずともみどり自身が十分に自覚していることだった。「一卵性母娘」という言葉がある。日本で最初にそれをいわれたのが美空ひばり母娘だった。その言葉はステージママという風に変わったが、吉永小百合の母もそうだった。

宮沢りえの母にもいわれた。子どもに自我が芽生えて以降、母娘は距離を置くようになっていく。誰も支配はされたくない。親の奴隷でありたくない。親をないがしろにするのは育ててもらったことの葛藤もあるが、やはり恩より自由が優先する。親が離れない以上、子どもの方から親を切るしか方法はない。盲目のピアニスト辻井伸行氏も母あってこその彼だったことは間違いないが、自我が芽生えたころから露骨に母を避ける映像を見た。母は寂しそうだったが、覚悟をもって手放す決心をした。