多くのことわざを知っていると、それを生かせる場面に出くわすことがある。その時にことわざは「知恵」として機能することを何度も体験した。昔の人はいいことをいうものだとつくづく感じる瞬間でもある。世の中を見渡すとき、それこそさまざまな人間がいるわけだから、そんなあらゆる人間への対処の仕方として、ことわざは自分の人知をはるかに超えて名答を授けてくれるのだ。なかでもバカへの対処法は感情的にならず、イライラやストレスを起こすこともなく、さらりとかわすことができる。
若い頃は、母親との日々のバトルのなかで絶対に負けたくないという気持ちが昂じてか、逃げることは敗北を認めることだから、絶対に逃げてはならじと、ムキになることが多かった。知恵の浅い子どもが大人に向かっていくのだから無理もないが、今に思うと屁理屈をこねまわしていたのが懐かしい。筋の通った理屈を理路整然と発して相手を諭すことなど、小中学生如きにできるはずもない。道理の通らぬことは平気でいうばかりか、感情丸出しのヒステリー女にはまともに向き合うことはできない。

表題の「逃げるが勝ち」ということわざは知っていたが、逃げることで勝など、どう考えてもあり得ない、理解できない自分は、尻の穴をしっぽで挟んで逃げる負け犬にはなりたくなかった。「孫子の兵法」には以下の言葉がある。「敵を知らず、己を知らずは百戦百敗」。「敵を知り、己を知らずは百戦五十勝」。「敵を知り、己を知るは百戦百勝」。なるほど、この意味はよく分かる。が、孫子はこのようにいう。「百戦百勝は最上の勝ち方ではない」。な、な、なんと…、これは理解に苦しむ言葉だ。
それについて孫子はこう述べる。「百戦百勝は、善の善なるものにあらざるなり。戦わずして人の兵を屈するが、善の善なるものなり」。これは孫子の兵法「謀攻篇」のなかにあるもっとも有名な言葉であり、孫子の兵法の神髄をあらわしたもので、以下の説明がなされている。「たとえ常勝といえども、戦いには犠牲がつきもので、百回勝ったとしても百一回目に負けるかも知れない。戦いそのものは目的でなく手段の一つにすぎない。だとするなら、"戦わずに目的を達成する"ことが最上となる。
人間はとかく目の前のことにとらわれやすい。ある目的のために何かをやって夢中になると、やっているそのことが目的のように思い込む。例えば、悲しいことで泣く女がいた。その女は泣いているうちに、泣くこと自体が悲しくなってますます泣きつづける。しまいには、何のために泣いていることすらわからなくなってしまう。国を守るためであるはずの軍備が、国を危うくするのはナンセンスでしかない。物事を客観的に見、根源にさかのぼる考えが必要。したがって、最上の戦い方は「謀」となる。
元亀元年(1570年)4月20日、信長は朝倉義景討伐ため越前金ヶ崎に進軍する。このとき深く信頼していた浅井長政の裏切りにあい、北から朝倉、南から浅井という挟み討ちの状態に陥る。この時信長の「逃げるが勝ち」という柔軟性は後に語り継がれている。つまり「逃げるが勝ち」とは、戦わずして逃げるを決して卑怯ではないとする。困難に直面したときは一時身を退いて、保身をはかるのが得策であることにたとえるもので、終局において勝利をおさめればよい。 何より重要なのは状況判断である。

「逃げるが勝ち」には、形勢が不利なら無駄な抵抗せずに逃げるのが最善策になる。これは『兵法三十六計』の「走為上」にあたり、「走(に)ぐるを上(じょう)と為(な)す」と説いている。人間関係において相手を見切ったら、時間の無駄なので関係を断つのがよい。まさに逃げるが勝ちの図式である。ずいぶん前に、メール相手に話の通じないうっとうしい女性がいた。会話中、精神科に通っていると知り、相手を興奮させぬようとにかく低姿勢で接した。こんなやり取りがメールフォルダに残っている。
女性:「今、部屋を片づけてました。
自分:「ぼくもきれいな部屋がすきですね。汚い部屋に住みたくない」
女性:「好きで汚してはないと思いますが…」
自分:「汚い部屋が好きというより、単に気にならないんでしょうね」
女性:「ひどいこといいますね」
自分:「ひどいの意味がわかりません。どういうことですか?」
女性:「部屋が汚いのは気にならないからと決めつけるのがひどいんです」
自分:「汚い部屋の住人のことで、あなた個人を特定してはいませんが」
女性:「なぜ、そんなふうに責めるんです?」
自分:「だから一般論です。何もあなたのことを責めてないです。」
女性:「わたし自分の部屋が汚いといってません。勘違いしてませんか?」
自分:「相手の言葉を聞いてますか?勘違いも何も、責められるいわれもないです」
女性:「屁理屈で逃げないでください」
自分:「理屈も屁理屈もいってませんが、気に触ったなら謝ります」
女性:「相手が精神科に通ってるということは、病院に入院してスマホを取り上げられてそのまま解約とかいうこともあり得ますよ」
自分:「何がいいたいのかわかりません。あなたのことは、今聞いて知りました」
女性:「私は、メンタル障害と身体の希少難病でしんどくて部屋が片付けられない時があって、やっと片付けられるようになったから頑張って綺麗にしてたのに汚い部屋が好き?って、どういうことですか?」
こんな風に突っかかれては話も通じないしどうにもならない。逃げるのが賢明だ。
自分:「知らないことを後でいろいろ言って、あなたは私を責めてるという。それでも謝っています。謝っても気持ちがおさまりませんか?」
女性:「貴方は健康だから、身体が不自由な方やメンタルが不調な方の気持ちはわからないんでしょう」
自分:「謝罪以外にどうすればいいのですか?」
女性:「こちらとしては気分がわるいです」
自分:「さっきから謝ってばかりの無駄な時間です。ではこれにて失礼します」
女性:「逃げるんですか?ひどい人ですね」

好き勝手いわれっぱなしだが、メンタル病む人につっかかられても腹は立たない。精神障害の持ち主はこういうことかと勉強になった。そして翌朝「おはようございます」とメールしてくる。情緒の安定と不安定が目まぐるしく交差するのは仕方がないが、、これでは一般人と付き合うのはむつかしい。いかに健常者がやさしくより沿おうとしても、確実につぶされる。途中から自分も、逃げるしか手立てはないと感じていた。好きで障害になったのではないと同情するも、住む世界がまるで違っている。
不安と強迫観念の持ち主への対処法もあるようで、このように記されていた。「強迫症では、本人のみならず、家族など周囲の人にも著しい影響が及びます。特に深刻なのは、巻き込み症状です。まず患者本人は、他者を巻き込みコントロールしようとするが、結局は自分の思うようにならず、不安焦燥を招く不安定要因となりうる。一方家族は、要求に応えることが患者さんの為と考える傾向にありますが、どんどんエスカレート要求に応えられず、患者の不安や怒りを増幅させるだけとなります」。
躁うつ病患者などの対応知識を医師から授けられても、流動的な状況には的確に対応できない。やはり、入院させて専門的なケアを受けるに勝るものはないのではないか。肉親・家族の誰かが精神疾患を発症したり、鬱病になったりで、周囲のケアは必要になるが、彼らの世界を共有することはできなかろう。自分もこの時の対応をどうすべきかを考えながら対処したが、相手は王女で、自分は従僕くらいの意識でなければ地雷を仕掛けてくる。何をいわれても相手を責めずに聞き流すゆとりが必要だ。

