三重県教育委員会によると35歳の男性教師は2022年7月、自身が勤務する四日市内中学校体育館の女子トイレに侵入、盗撮用の小型カメラを設置したほか、サンダルにスマホを挟みスカートの中を撮影していた。教師はその後起訴され、2022年12月に罰金70万円の略式命令を受けた。男性教師は盗撮を認めており、県教委は23年2月14日付で懲戒免職処分を下した。県教委はこのほかに、コンビニでタバコ7箱を万引きした市内小学校の男性教師(57)を14日付けで停職6カ月とした。サンダルにスマホね~

広島中央署は12日、10代女性のスカート内にスマートフォンを向けたとして、広島県迷惑防止条例違反(盗撮準備行為)の疑いで、広島市安佐南区居住の自称私立高校教員新宅勇也容疑者(28)を現行犯逮捕した。調べに対して、「盗撮目的で向けたことは間違いない」と容疑を認めている。同署によると、新宅容疑者は不審に思った店員に声をかけられた直後、店から逃げ出したが、別の男性が追いかけて取り押さえた。広島の事件は実名報道となっているが、軽微な犯罪での実名報道は珍しい。

 



熊本市教育委員会によると、2022年11月に熊本市内の小学校の男性教員が、女子児童が着替えに使う部屋にボールペン型のカメラを仕掛けて盗撮していた。カメラに気づいた児童からの相談で発覚し、学校側の聞き取りに対して、教員は盗撮画像は校長が教員に消去を命じている。「間違った判断だった」と校長はいうが、おそらくは盗撮教員を庇ったとみる。教職員の不祥事は学校の、学校の不祥事は校長の責任となる。証拠映像を消してもペン型カメラという状況証拠が見つかっている。

刑事事件の証拠映像を消すよう命じたのは軽率というより、誰が考えても自己保身であるのは明らか。教員は自宅待機にさせられて警察から事情も聴かれ、市教委は2人の教員と、画像消去を指示した校長らの聞き取り後、処分を検討するとしていた。12月23日に熊本市教委より処分が発表された。それによると主導した男性教諭(26)が懲戒免職とし、学校の男性校長(55)も市教委へ虚偽の報告をしたとして停職6カ月の懲戒処分とした。熊本市内の小学校教員の別の猥褻事案も起こっている。

2022年12月2日の放課後、小学校校内で男性教師が女子児童の胸を触っているところを目撃した人が学校に連絡して発覚した。これを受けて熊本市教育委員会の松島孝司教育次長は、「本市教育への信頼を裏切るかたちになり、誠に申し訳ありません。全力で再発防止に取り組みたい」と話していたが、23日には校長や教職員ら大量16人もの懲戒処分が発表された。熊本市の遠藤洋路教育長は、「深くお詫びを申し上げます。誠に申し訳ありません」と型どおりの会見で謝罪の言葉を述べる。

熊本市教委からこの日、3年前に中学1年生が自殺した問題の追加処分があった。事件直後には9人が懲戒処分されていたが、生徒が「死」などと綴ったノートのことを保護者や市の担当課に伝えなかったとして小学校勤務時代の教頭を停職14日、また当時の校長も減給10分の12か月となっている。このほか、体罰等審議会で体罰や暴言等に認定された教員5人が停職から訓告処分となったことで、市教委は年度内に外部の有識者を含めた協議の場を設け、新しい体制づくりの検討を始めるという。

 



1990年代末期、増え続ける不登校児童やキレる生徒の問題など、子どもの心をはかりかねて苦悩する教師たちがクローズアップされたが、各地における取組もあってか、それなりの成果を上げている。ところが、近年の教師による盗撮などの猥褻不祥事が激増する背景には、さまざまな要因があると思われるが、文科省が教師という職業人を作る以前に、教育者としての教師像を望み、求めているのかという疑義が持ち上がる。教師たちの多くは(というか、ほとんどが)偏差値世代である。

彼らが大学の教育学部を出て教師を選択する理由はいくつかあるが、「教師になれば奨学金の返還が免除される」という動機も大きい。教育者のバイブルとされた灰谷健次郎の『兎の眼』を読んで教師になろうと決めた、という我々の少し下の世代の動機を耳にした知人に感激したこともあったが、昨今のことはよく分からない。分からないので書くのをやめるが、教育を審議したり教育政策を立案したり、そうした国家の文教政策に必要な戦略的思考がなんであるかくらいは理解しているつもりだ。

 

  

それらのことは臨教審答申を読むことで見えてくる。一例として国公立大の共通一次試験に代えて新たに私立大も参画できる「共通テスト」創設の提案がなされたが、答申には私立大が参画拒否したらどうするとは書かれていなかった。可能性がある以上、想定をして複数の政策を立てなければならないはず。臨教審は私立大の参加による競争緩和の利点を描いていたのは自信の表れだろう。が、私立大参加なくして政策の価値は下落するのは必定だから、日本的な根回しはあっただろう。

また、臨教審答申の学歴社会是正の項には、「……することが望まれる」という文言が多用されており、いかにも他人に下駄を預けたような恰好だった。共通一次試験の弊害はさんざんいわれていた。「難問・奇問の解消に役立った」いや「偏差値による大学序列化を進めただけだ」などの功と罪の入り混じるなか、昭和54年にスタートし、11年の歴史に幕を降ろした。新たに「大学入試センター試験」に変わるが、入試センター初代所長の元東北大学長加藤陸奥雄はこのように述べた。

 



「共通一次で難問・奇問は少なくなり、こなれた問題が出題されています。その一方で偏差値による輪切りや大学の序列化がひどくなったという議論はありますが、点数だけで"お前はそこがダメだからこっちにしろ"という指導はそもそもおかしい。必要なのは自分がどこに行きたいかの志であり、大人はそれを教えるべきではないか。唯一無二の入試制度なんてあり得ません。その都度知恵を絞り、その都度合理的と思う方法でやるしかないんです」と、功罪についてはさらりとかわす。

共通一次試験実施に際して、「この試験を導入することで受験生の心理がどう動き、受験産業がどうそれを活用するかという可能性――」については、一部の識者が予告していたことは現実となった。わずか10年の短きに終わった共通一次試験、それを受け継いだ大学入試センター試験は1990年から2020年まで続いたが、受験産業だけがのきなみうまい汁を吸って肥大した。全国一律の入試制度は、大学や高校はもちろんのこと、社会一般にも納得できる調査と検討を経ないと定着しない。

さて、今後も増えるであろう不適格教師。彼らを排除する制度をどうするかだ。教育改革の基本は制度にあるのではなく人間にある。したがって、悪い制度化であっても良い先生さえいれば良い教育がなされる。これは自明なことだ。何を良い先生というかは難しいが、とりあえず先生の質を向上させないことに問題の解決はない。そのためには長期の忍耐と時間と莫大な費用がいる。猥褻教師は言語道断、法の許すすれすれまで欠勤する不登校教師は全国数多にいる。それを何とかしなければ…