彼女の書いた親の手紙を読むと、彼女の性格的特徴が見えてくる。親を慕うあまりか、親を裏切ってはならない気持ちが強い。これは心理的依存の強さのあらわれで、自立とは物質的にも精神的にも親から離れることだが、彼女は他人に心を許せない性格の人なので、親・兄弟・肉親への依存度(信頼度)が増す。3ページ目はこう書き出している。「身内に何の相談もせず一人でこんな大切なことを決めてしまった自分が嫌でしょうがない」と、これには驚いた。
驚かぬ人もいようか?宗教に入信するに親の許可が必要だが、無断で入信したのを悔いているように見受ける。親に悪いと述べているが実は違う。行間から彼女の本心を以下の如く読む。自活する以上、親の許可なしに行動・決断することは少なくない。いちいち伺い立ててやっていられない。恋愛もしかり、結婚の許可を親から得る時代ではない。よって、彼女の心理背景とは自らを悔いても責任を取ろうとせず、「親に悪いことをした」と転嫁しているのが分かる。

己の行為の善悪がハッキリ定まっておらず、「親に申し訳ない」と決め打ちすることで、免罪しようとする。結局、彼女は親に依存しながら、都合のいいところでは親を利用しているのだ。向上心の希薄な人はこういうタイプが多い。彼女が自ら行った行為を真に悔いるなら、「なんと自分は愚かでバカでマヌケなのだ」と自らを責めるところだが、女のずるさは自身の過ちを責めないための方法を見つけようとする。これは多くの女性に共通するしたたかさなのだろう。
女に言い訳が多いのはそういうこと。「24にもなって親を悩ませる」といいながら、「浄霊」の効用を進言する。入信したのは間違いとしながらも、「浄霊はよいもの」と勧めているのは明らかな二律背反であり、善悪や自己責任に対する覚悟や一貫性のなさがこうした発言を生む。彼女は、「浄霊」に憧れ、信者として数珠をぶら下げて市中で、「浄霊」行為をしていたというが、信者だから浄霊パワーがあるはずもない。そのことへの疑問と浄霊行為に負担を感じた。
彼女のような弱い人間が、他人に浄霊行為などできないのを彼女は自覚していた。こうしたインチキ行為を獲得した信者に行わせ、信者獲得を目論むインチキ宗教は少なくない。『エホバの証人』信者も伝道を強いられるが、霊的パワーなどは実践せず、聖書の言葉を支えにしている。正しい名称を『ものみの塔聖書冊子協会』というように、聖書を広めることを目的とするが、彼らのあまりの独善的で特異な解釈から、同じキリスト教信者から批判を受けている。
例えば、「輸血拒否」、「格闘技拒否」などもその類で、『エホバの証人』の存在を際立させたある事件があった。1985年6月6日で場所は川崎市。10歳の男児がダンプカーにひかれて両足を骨折、救急病院に運ばれたが出血性ショック症状があり、医師団は手術に取り掛かろうとしたが、駆けつけた両親から手術に必要な輸血拒否をされた。両親は、『エホバの証人』信者だったが、人道的な問題と説得をしたが聞き入れなかった。男児の血圧は下がり始めた。

「このままだと死にますよ」という医師に、「たとえ子どもが死のうと楽園での復活があります」と両親は頑なで、「輸血は聖書にのっとってできないので、輸血なしで万全の治療を願います」との決意書を手渡した。男児は搬送されて5時間後、失血死で亡くなった。その一年半後には横浜市で県立病院勤務の医師の妻が、『エホバの証人』として活躍していたことで、夫に殴打・殺害された。夫は自宅に集まった親戚の前で「こいつは魔女だ!」と怒鳴っていたという。
他にも『エホバの証人』がらみの事件はいろいろあるが、これらは社会問題になりはしたが、あくまでも『エホバの証人』信者の問題である。人の命より教義を重視するのが分かった以上、信者の家族や親族への輸血をごり押ししなければいいことだ。医師のモラルもへったくれもない、「理解できない」であってもすべては教義優先であり、社会から隔絶されても信者としての立場である。「宗教は信じない人には戯言だが、信じる人には唯一の真実」ということ。
宗教にとって教義がすべて。教義のない宗教は宗教ではなく、教義を守らぬ信者は信者といわない。一時期『エホバの証人』信者と交流があったといったが、彼女は入信3年目くらいで、入信のきっかけは大学受験の失敗で、父親に浪人はさせないといわれていた。すべては自分の責任としながら苦悩していた矢先にエホバの伝道者と出会い、自身の生きる道を定めた。荷物一つで家を飛び出し、教団施設に身を寄せたのは、父親への反抗心もあったという。
父子家庭だった父親は彼女を連れ出しに施設に行ったが、教団側は彼女の権利を守るという理由でシャットアウトした。父親は彼女に手紙を書き、それは渡されて読んだというが、そこには父の謝罪に満ちた文面だったという。「浪人させないといったのは、力を発揮させるためだった。受験失敗後には改めて話し合って、予備校に行かせる気でいたが、親の方から切り出せばよかった。お前の口から言いづらいことは分かっていた」。なるほど父の気持ちである。

父の手紙は教団側も事前に読んでいて、「研究生として修養中なので自宅には戻れない」と書くよう命じられた。以降に数通の手紙はきたが、もう寄こさぬよう返事を書けといわれたという。彼女は父の本心を知って父の気持ちに沿いたいと思ったが、教団の頑なな態度にどんどん洗脳されていったという。自分と交流して広い考えに触れてか、脱会を考えるようになった。「エホバを出るから私を伴としてくれませんか?」といわれたが、自分は妻帯者であった。
「いわなかった」でも、「いえなかった」でもない。エホバを脱会させることが主目的で、それに情熱を傾けた自分は、想定外の局面に驚き、妻帯者であると告げた。二か月くらいの交流の最初の一カ月は、彼女も信者であるのを隠していた。肉体関係類はなく、エホバの教義はそれを許さない。食事をする前に数秒黙祷するのを不思議に思って問いただし、信者と分かった。自分の発言を境に彼女の気持ちはエホバに戻り、自分は一気に悪魔となり下がった。
エホバの教義において、信者以外との交流は、「悪魔との交流」として禁じられていた。彼女はその掟を犯しながら、目覚められるものならと前向きな努力をしていたが、「エホバに戻ってバブテスマを目指し、クリスチャンに生涯を捧げます」の言葉を最後に再び彼女とまみえることはなかった。エホバを脱会=結婚というのは驚いたが、いかに彼女が追い詰められていたの証だった。書籍でいろいろ調べて分かった事は、男女間も含めた厳しい戒律の存在だった。

