心中は情死ともいうが、無理心中は相手の合意がないことから殺人として扱われる。天城山心中の25年前の昭和7年(1932年)5月9日、東海道本線・大磯駅裏の坂田山松林で若い男女の心中死体が発見された。当日の東京朝日新聞夕刊の社会面は、『草花を枕辺に大磯で心中』という一段見出しで以下のように報じている。「9日午前11時半ごろ湘南大磯町坂田山山頂の雑木林の中に昇汞水を飲んだ情死体があるのを松露採りに来た青年に発見された。


大磯署で検視したが身許不明、男は慶応の制服で25,6歳、女は21,2歳令嬢風、2人は雑草の中に横臥枕辺には名も知れぬ可憐な草花が供えてあった。」山頂から裏側へ十数メートルほど降りた中腹の雑草の上に2人は相擁して死んでいた。女は藤色のお召の着物に塩瀬と博多の合せ帯をしめ、死せる後も醜き姿をさらすまじとしたのか、帯しめで両足をしっかと結えていた。男は慶応の制服、枕辺に昇汞の空壜に制帽と女性の赤いハンドバッグが置かれていた。

 


男の制服のポケットには遺書があり、捜査の結果、男の身元は東京港区の慶応大学生で華族である調所広丈(ちょうしょひろたけ)の孫調所五郎(24歳)、女性は静岡県駿東郡の素封家湯山家の娘で湯山八重子(22歳)と判明。素封家(そほうか)とは今で言う資産家・大金持ちのこと。八重子は2年前までキリスト教系の頌栄高等女学校(港区・白金台)に通学していた。二人はキリスト教会で知り合い交際を始めたが八重子は健康上の理由で女学校を退学する。


八重子は静岡県の実家に戻ったが二人は遠距離恋愛を続けていた。二人が飲んだとされる昇汞水とは、昇汞(塩素と水銀の化合物)に食塩を加えて水に溶かしたもので、毒性が強く防腐や消毒のほかに、写真の現像にも使用されたが、調所五郎の趣味の写真だったこともある。後に判明したのは、五郎の両親は交際に賛成していたが、八重子の両親は反対で別の縁談話を進めようとしていた。そのため二人は(永遠の愛)を誓って心中したと思われる。

 


二人の遺体は遺族が引き取りに来るまで、町内の寺に仮埋葬される事になっていたが、翌10日に寺の人が女性の死体が棺の中から消えているのを発見、周辺には女性が身に付けていた衣服などが散乱していた。心中事件は一転して猟奇事件へと発展する。9日の深夜、棺から忽然と消えた八重子の死体は明けた10日の昼近く現場から100メートルほど離れた相模漁業会社の船小屋の中から、一糸纏わぬ裸体姿のまま警官と消防隊員によって発見された。


早速、検視が行われることとなり、奥田剛郎検事ら立会のもとに藤井裁判医の手で死体検視が行われた。やがて数十分の後に千葉署長と藤井裁判医が報道陣の前に現われ、「諸君安心してくれ、純真むくの処女だったよ」との発表があった。盗まれた死体が傷つけられる可能性もあったので、発表には関係者も安堵した。それにしても八重子が純真むくの処女であったというのは、別の驚きもあったろう。だからこそ、「天国で結ばれる恋」ということになる。

 


二人が純潔の香り高き交際(?)だったのは、クリスチャンであったことも理由の一つとされた。「神は婚前交渉に不快感を覚えておられる」という事実は、クリスチャンにとって極めて重要な教義となっている。死体盗掘の捜査が行われ、火葬人夫を含む野次馬ら300人が取り調べを受けた結果、火葬人の一人長吉爺さんが逮捕された。「もう40年もこの仕事をし、何百もの女の死体を手がけてきたがこれほどきれいなお嬢さんにゃ出会わなかった…」と自供した。


長吉は八重子の死体を引ずり出し、急いで墓穴を埋めて死体の傍の戻って八重子の帯をほどいた。着物を脱がせ、長襦袢も肌着も取り、腰部の最後の着衣も両脚の方からスルリと抜いた。横たわる一糸纏わぬ死美人は月の光を浴びて、白蠟人形のように美しかったという。八重子を肩に乗せた長吉は浜辺にある船小屋の方へ向い、時のたつのも忘れて船小屋の中でその死体を愛撫したという。となると「純真むくの処女だった」といった検視発表は本当?

 


長吉は『死体遺棄罪』という極めて軽い罪名で起訴され、8ヵ月の禁個に処せられて服役したが、出所いくばくもなくして死んでいった。長吉は死ぬ前に、「あれは違う、違うよ」と謎の一言を残していたが、長吉が逮捕される深夜に2度も長吉宅を訪れたのが大磯署長であった。そして大磯署長と裁判医は、「純真むくの処女だった」と発表したことから『清かった恋』となってこの情死事件を一層美化したようだ。一部の資料には八重子が妊娠していたとの記述もある。


日本人にはどこか情死を美化するきらいがある。近松門左衛門の『曾根崎心中』、三島由紀夫『憂国』、渡辺淳一『失楽園』さらに外国文学では、『ロミオとジュリット』や『トリスタンとイゾルデ』などの情死文学が物語っている。古来ヨーロッパにおいてはオルガスムを、「小さな死」と呼びならわしたが、日本の吉原の遊女も行為中に客を歓ばすため「死にんす、死にんす」といった。このように死とエロスの関係は奥深いところで手を握り合っているのかも知れない。


ただし、ハッキリといえることは情死は日本人特有の習俗であって、外国には情死を扱った文学は聞かれない。上記した『ロメオ~』、『トリスタン~』、さらには『若きウェルテルの悩み』において、物語の最後に恋人同士の一人もしくは二人が死ぬが、情死とはあきらかに事情が違っている。日本人の男女が申し合わせて相果てるという奇妙な二重自殺について、外国人は不思議がる。それが日本人特有の「センチメンタリズム」といえば日本人なら理解できよう。


愛し合う男女が、二人の愛を脅かす社会ならびに窮屈な道徳律や、あれこれうるさい親や他人から完全に背を向けて、自分たちだけの世界に閉じこもり性愛の恍惚の極限としての、「小さな死」の瞬間を、美しく永遠化しようとするのが、情死の真なる定義といえよう。情死は「禁止」から起こる。「許」から起こり得ない。したがって、「禁」に抗うことで情死はその力を得るわけで、一人の死に比べて二倍の力で訴えることになる。その意味で情死は「力学」といえる。