この曲は、AKB48・チームA「ただいま恋愛中」公演の構成曲であり、3rdシングル「軽蔑していた愛情」の表題曲でもあります。

歌詞の内容は学校内のいじめと自殺を扱っていて、かなりセンセーショナルなものになっています。
よくこの内容でCDの表題曲に採用したなと思いますけれども、実はカップリング曲の「涙売りの少女」も援交を扱った内容になっていて、このCDに収録されているのはこの2曲だけですから、なんとも陰鬱(いんうつ)な内容のCDですよね。

まだAKB48が世間に全然知られていない頃の曲ですから、思い切ったことができたと言いましょうか、あるいは逆に、注目を集めようと意図的にこういった曲を出してみたのか……。
いずれにせよ今のAKBでは、少なくともシングルCDの表題曲としては、まず出すことのないタイプの曲でしょうね。
仮に秋元Pが面白がってこういった暗くて重苦しい曲を出そうとしても、今のAKBのイメージを損ねかねないということで、運営やレコード会社からNGが出てしまうのではありませんかね。

 

1番Aメロ

テレビのニュースが伝える
匿名で守られた悲劇も
携帯のメールを打ちながら
絵文字のような日常

「匿名で守られた悲劇」というのは、悲しい出来事も、そしてその出来事の当事者たちも、記号化されて次から次へと消費されていくコンテンツと化しているということを表しているのでしょう。

 

そうやって人も出来事も記号化されることでリアリティが失われてしまい、自分とは無関係な、どこか遠くの世界の出来事になってしまう。
当事者たちの生身の人間としての心の叫びは決して聞こえることはない。

 

それはあたかも携帯のメールに付される絵文字と同じ。
絵文字で表されるのは記号化された感情であり、それは類型化、単純化された薄っぺらいものでしかない。
そこには深みも広がりもなければ、互いの感情の交錯もない。
あるのはコンテンツ化された一方的な「お気持ち」だけ。
そしてそれもまた、次から次へと消費されていく。

 

悲劇すらも記号化して、日常におけるコンテンツとして消費していく。
ここでは、そんな現代社会における「無関心の怖さ」を表現しているのではありませんかね。

1番A'メロ

大人は訳知り顔して
動機を探しているけど
ピント外れたその分析は
笑えないギャグみたい

テレビのワイドショーでは、訳知り顔のコメンテーターや、どこから引っ張り込んできたのか、胡散臭(うさんくさ)い自称専門家などが雁首(がんくび)揃えて、ああだこうだと「動機」や「原因」を理屈で解明しようとしている。
もうその光景自体が既にコントでしかないのだけれども、テレビの中の大人たちは、本質からズレたトンチンカンな薄っぺらい言説(げんせつ)を、さも得意気に世間に垂れ流し続けていてる。
まさに「笑えないギャグ」ですよね。

1番Bメロ

偏差値次第の階級で
未来が決められてる
もう 頑張っても
どうしようもないこと
ずいぶん前に
気づいてただけ
私たち

現在の日本は以前ほどには学歴偏重の社会ではないような気がするのですけれども、それでもやはり職業選択や収入といった面で学歴に左右されているところはありますし、何よりも親の収入や学歴が子供の学習や学歴に影響を及ぼしているところはありますよね。

 

ここでは、偏差値重視のそうした学歴社会によって固定化されてしまった格差を「階級」という強いワードで批判的に表現しているわけです。

 

偏差値を上げるには、懸命に勉強するなどすれば良いように思うけれども、そもそもその努力をするための機会からして必ずしも公平ではなかったりもする。
何につけ、一度格差が付いて下層に位置付けられてしまうと、そこから逆転するのは、なかなかこの国では難しいというのが現実ですよね。

 

そうした、どうすることもできない現実に対する諦めと絶望が、ここでは歌われているわけです。

1サビ

軽蔑していた愛情
知らぬ間に求めている
孤独になんてなりたくない
抱きしめて欲しかった
誰かに…

大人たちが口にする薄っぺらい「愛情」や安っぽい「絆」を、どこか冷めた目で見て軽蔑している。
けれどもその一方で、誰かに抱きしめてほしい、誰かにすがりたいという強烈なまでの愛情への飢餓(きが)に陥っている。
矛盾していますよね。
愛情を突っぱねながらも渇望(かつぼう)している。

2番Aメロ

鳥になろうとした少女は
屋上に靴をちゃんと揃えて
マナーを誉めて欲しかったのか
それとも当てつけなのか

「鳥になろうとした少女」というフレーズは、すぐ後に続く「屋上に靴をちゃんと揃えて」というフレーズと併せて考えると、紛れもなく自殺を暗示していることになります。
そして、この「屋上に靴をちゃんと揃えて」というのが、ドラマでもよく出てくるようなシーンとして想起されますけれども、ここでは出来事の悲劇性を高める効果をもたらしているのではありませんかね。

 

この少女は、きっと真面目で几帳面(きちょうめん)な子だったのでしょう。
死の間際(まぎわ)でも、その性格が現れていたということなのでしょうかね。
あるいは最後の最後まで、真面目な「良い子」でいたかったのか……。

 

もしかすると、靴を揃えるという行為には、特に他意はなかったのかもしれません。
ただ、たとえそうだったとしても、この出来事に対して何らかの(やま)しさや後ろめたさを感じている者たちにとっては、強烈な当てつけのように思われたとしても不思議ではありませんよね。
そして、そうした者たちの心の奥底には、拭いきれない罪悪感が植えつけられることになるわけです。

2番A'メロ

いじめが“あった”とか
“なかった”とか
今更 アンケートを取っても
聞いて欲しかった心の声は
風の中 届かない

今なお繰り返されている、事件後の学校側の無責任な対応ぶり。
何かやっているふりをしながら、思うことは亡くなった者のことではなく、自分たちの保身と責任逃れのことばかり。
なんならなかったことにしようと、教育委員会も巻き込んで学校ぐるみの隠蔽(いんぺい)工作を図ったりもする。

 

いまさら形ばかりのアンケートなど取ってみたところで、無責任な連中のアリバイ作りでしかない。
そんなことをしても彼女の悲痛な叫びが届くことはもうない。
死の後ではすべてが無意味なのですよね。

2番Bメロ

責任転嫁のプロセスで
偉い人を泣かせる
まだ わかってない
愚かすぎる連鎖を…
指を差すのは
何もしなかった
この自分

こういったことが起きた時に毎度のことながら繰り返される、責任のなすり付け合いという醜悪(しゅうあく)な光景。
責任を負う覚悟も能力もない手合いが、どこでどう間違えたのか、あるいは何を勘違いしたのか、そうした重い立場に就いてしまっているという悲喜劇。
あまりにも愚かしい。

 

けれども、そうした批判の矛先(ほこさき)は、巡り巡って自分自身に突きつけられることになる。
自分もまた、見て見ぬふりをして何もしなかった傍観者の一人ではないかという……。
加害者でも被害者でもない、わかっていて何もしなかった自分こそが、この悲劇の連鎖を支えている。
その自責の念に(さいな)まれることになるわけです。

2サビ

軽蔑していた愛情
裏腹に飢えているの
不安に気づかぬふりしながら
やさしい目 探してた
いつでも…

言っている内容は1サビと同じですよね。
大人たちの歯の浮くような嘘くさい「愛情」を嘲笑しつつも、本物の「愛情」に飢えている。
表面的には強がって見せても、本当は常に優しさを求めて止まないわけです。

 

ラスサビは1サビの繰り返しで、最後に「いつでも…」という1フレーズが付け加えられています。
いつも優しさを求めていて、誰かに抱きしめてほしいと思っている。
心は渇き切っていて、愛情に飢えているということなのでしょう。

 

「愛情」を冷笑しつつも渇望する。
まさにアンビバレンス(1つの対象に対して相反する感情が併存する心理状態)ということになるのですけれども、実は同じ「愛情」というワードであっても、冷笑しているのは上辺だけの嘘くさい「愛情」であって、心から求めているのは人としてのぬくもりのある本物の「愛情」なのですよね。
つまり、言葉は同じでも、まったく別物の「愛情」ということになります。
そう考えると、これはアンビバレンスなのではなく、若者の鋭い感性が、言うなれば、嘘と誠を嗅ぎ分けているということなのかもしれませんね。

 

偽物の「愛情」を唾棄(だき)し、本物の「愛情」を渇望(かつぼう)して止まない。
そんな現代の若者たちの心の叫びを、この曲は歌っているのでしょう。

 

※引用:
秋元康 作詞, 井上ヨシマサ 作曲, 井上ヨシマサ 編曲
AKB48「軽蔑していた愛情」(2007)