この曲は、STU48のデビューシングル「暗闇」のカップリング曲です。

 

STU48は、瀬戸内を拠点とするグループだけに、他の姉妹グループと比べても「海」や「船」をモチーフにした楽曲が多いですよね。
この「僕たちはシンドバッドだ」も「海」をモチーフとしていて、デビューを迎え、これから荒海に乗り出してこうとしているSTU48の姿を描いているとも言える楽曲になっています。

 

1番Aメロ

父親が不機嫌そうに
舌打ちをして立ち上がる
成績が悪いのが
そんなに気に入らないですか?

「舌打ちをして立ち上がる」というのは、あまり感心した態度ではありませんけれども、子供の成績が悪いことに苛立っているというのは、厳しい父親としてはありがちなことのような気もしますよね。
少なくとも、子供の将来のことを心配しているということではあるのでしょう。
成績が良かろうが悪かろうが、まったく関心を示さないのに比べれば、ずっとマシだとは言えるのかもしれません。

 

そうした親の心子知らずではありませんけれども、子供の側からしてみれば、鬱陶(うっとう)しく感じるだろうし、たかが学校の成績ぐらいでうるさいなと思ったりもするのでしょう。

 

ここでは、そんな子供の側が感じている息苦しさや、学業の成績や学歴といった既存の価値観でしか子供を評価できない大人たちへの反発が描かれているわけです。
さしずめ父親は、権威の象徴、あるいは既存の価値観の象徴といったところでしょうか。

1番A'メロ

今の順位なんかよりも
これからが大切なんだと
言ってくれないのですね?

過去の結果に拘泥(こうでい)する大人たちに対して、未来の可能性を見ようとしている若者たち。
なかなか話が嚙み合わないでしょうね。

 

夢を語りたいのに、厳しい現実を突きつけて否定ばかりしてくる大人たちに、若者たちは失望しているといったところでしょうか。

1番Bメロ

この先の未来は
大きな大きな海に似て
果てしない可能性
ちっぽけな小舟で沖に出るんだ(夜が明ける水平線)
人は(いつか旅立つもの)
誰もが自分を信じて生きてく

これから向かう未来は可能性に満ち溢れている。
その様を広大な「海」で(たと)えているわけです。

 

自分が何をしたいのか、あるいは何ができるのか、まだ全然分からないけれども、思い切って歩み出してみれば、きっと何か見出せるはず。
そんな希望を胸に抱いているのかもしれませんね。

 

けれども一方で、海に漕ぎ出せば嵐に遭遇したり難破したりする危険性があるように、思い切ったことをしようと思えば様々な苦難に出くわすことにもなるわけです。
「海」という(たと)えは、そうしたことも含意(がんい)しているのでしょう。
それを示しているのが、「ちっぽけな小舟で沖に出るんだ」というフレーズなのではありませんかね。

 

「ちっぽけな小舟」というのは、まだ経験も知識もない無力な自分のこと。
そんな無力な自分が、意を決して広大な海に漕ぎだして行こうとしている。
つまり、自分の可能性に挑戦しようとしている。

 

「夜が明ける水平線」というのは、今まさに自立しようとしていることを暗示しているのでしょう。
親の庇護(ひご)を離れ、自分の力で自分の人生を生きていこうという決意が示されているわけです。

1サビ

僕たちはシンドバッドだ
立ち向かえ!荒波の彼方
綱を解け!艪を漕ぎ出せよ!
どこかにある大陸 目指すよ
夢を見るシンドバッドだ
経験もない若き船乗り
怖いものなんて何もない
希望の光 探せ!

シンドバッドというのは、アラビアンナイト(千夜一夜物語)の物語に登場する船乗りのことで、日本でも絵本だとかアニメだとか映画だとかにもなっているので、大方の人がご存じなのではないでしょうか。

 

物語の内容は、展開されているメディアによって多少の違いはあるのでしょうけれども、危険な目に遭いながらも何度も過酷な航海に乗り出す冒険譚(ぼうけんたん)ということでは共通しているのではありませんかね。

 

そんなタフな冒険家・シンドバッドを、「不屈の挑戦者」の代名詞として、ここでは用いているのでしょう。
自分たちを、そのシンドバッドに投影して、「立ち向かえ!」「綱を解け!」「艪を漕ぎ出せよ!」と鼓舞しているわけです。

 

「綱を解け!」というフレーズには、自分を縛り付けている社会的な枠組みや親の期待といったようなものを自ら断ち切るんだという強い意思が込められているのでしょう。

 

こうして大海原に漕ぎだして行ったのは良いけれども、どこを目指しているのか自分でも分からない。
自分には何ができるのか、あるいは、自分は何になりたいのか何がしたいのか。
自分でも明確な目標を見出せているわけではないのですよね。
「どこかにある大陸 目指すよ」というフレーズは、そういったことを表しているのでしょう。
これまでの息苦しい状況から抜け出したくて、とりあえず動き出してみたといったところでしょうか。
そのうえで、「希望の光 探せ!」というわけです。
自分が目指したいもの、あるいは目指すべきもの、心底情熱を傾けられる「何か」を見つけ出そうとしている。

2番A'メロ

誰のために生きている?
そんなこと考えるだけで
生意気だと殴るのか?

「誰のために生きている?」というフレーズは、文字通り「自分は誰のために生きているのだろうか?」あるいは大人たちに対して「あなたたちは誰のために生きているのですか?」という問いかけではあるのですが、その意味するところは、大人たちの言う通りの生き方や大人たちに導かれた生き方に対して、若者たちが疑問を抱いているということなのでしょう。

 

そして、そんなことを考えるだけで、生意気だと大人たちは叱るわけです。
いますよね、こういう手合いが、どこの業界、どこの界隈(かいわい)にも。
自分より下の立場の者に対して、やたら居丈高(いたけだか)になって「指導」したがる人が……。
こういう人たちは、余計なことは考えずに自分の言う通りにしていれば良いのだとばかりに、古臭い自分の考え方、自分のやり方を強要してくる。
迷惑ですよね。

 

そんな大人たちに対して、若者たちは嫌悪感を抱き、軽蔑の眼差しを向けるわけです。

2番Bメロ

目の前の大人は
何度も何度も沖に出て
疲れて諦めた
もう二度と無謀なことはしないと…(太陽を眺めてる)
だから(波に飲まれても)
ここには戻らないと決めて舵を取れ!

大人たちも、かつては夢を追い求めていたはず。
それなのに、現実に打ちのめされて、妥協を覚え、諦めを繰り返しているうちに、いつしか無気力で無難な生き方に収まってしまっている。

 

そんな彼らを反面教師として、自分はあんなふうにはなりたくないと強く思ったのでしょう。
「ここには戻らないと決めて舵を取れ!」と、退路を断つ覚悟を決めたわけです。

2サビ

僕たちはシンドバッドだ
海流に逆らって進め!
帆を立てて 風を手なづけ
伝説の宝島 急げよ
挫けないシンドバッドだ
ただがむしゃらな愚か者たち
失うものなんて何もない
永遠の愛が欲しい

冒険家・シンドバッドのように不屈の精神で突き進んで行くという決意表明なのでしょうね。

 

「海流に逆らって進め!」というのは、世間の流行だとか社会の常識だとかにとらわれることなく、自分の意志を貫き通せということを言っているのではありませんかね。
安易に周りに流されるなということなのでしょう。

 

「ただがむしゃらな愚か者たち」というのは、とりもなおさず、自分たち若者のことですよね。
これは、若者たちが軽蔑している「賢い大人たち」に対する皮肉であり、ある意味で逆説的な誇るべきステイタスを表しているのかもしれませんね。

 

知識も経験もないけれども、守るべき物も何も持ち合わせていない。
そんな何も失うものがない若者だからこそ、怖いもの知らずになって何にでも挑戦できる。
そして、散々打ちのめされることになるわけです。
けれども、それで良いのですよね。
挫折し、傷つき、苦しい思いをする。
そうした経験を通じて、己を知り、人の痛みを知ることができるのですから。

 

最後に「永遠の愛が欲しい」とありますけれども、ここでの「愛」が意味しているのは、愛情ということではなく、もっと広い意味で、魂の充足とでもいったところになるのではありませんかね。
つまり、そうした魂の充足を求めて止まないということなのでしょう。

 

ラスサビは1サビの繰り返しになっています。

 

この曲は、大人たちが押し付けてくる既存の枠組みや価値観に反発して、無謀な挑戦に歩み出そうとしている若者の姿を描いているのですけれども、まあ言ってみれば「親離れの唄」とでもいったところでしょうか。

 

何にせよ、これから大海原に漕ぎだし、荒波に揉まれながら成長していくというのが、まさに船出を迎えようとしていたSTU48とオーバーラップしているのではありませんかね。
それを意識してなのかどうかは分かりませんけれども、2ndシングルのカップリング曲には「出航」という曲が収録されていて、この曲の続きのような歌になっています。

 

※引用:
秋元康 作詞, 吉田司、早川博隆 作曲, 早川博隆 編曲
STU48「僕たちはシンドバッドだ」(2018)