この曲は、STU48の12thシングル「傷つくことが青春だ」の表題曲です。

MVの冒頭、高雄さやかが階段の踊り場で倒れているものですから、てっきり階段から転げ落ちたのかと思ったら、腕に擦り傷を負った程度でしたから、転げ落ちたのではなく、最後の1段で足を踏み外し、コケてしまったのでしょうかね。

 

それはさておき、この冒頭のシーンが意味しているのは、さしずめ「青春の(つまず)き」とでもいったところなのでしょう。

 

青春時代には失敗や挫折で傷つくことも多く、自分の不甲斐なさに苦悩しがちではあるけれども、この曲は、そうしたことを全て尊い経験として全面的に肯定してくれるメッセージソングになっています。

 

1番Aメロ

普通に歩いてるだけで 何だか歩きにくいんだ
行き交う人とぶつかってしまう

東京・新宿駅あたりだと、人が多すぎて普通に歩いていても本当にぶつかりそうになってしまう。
しかも、皆結構足早に歩いていますから、一人だけのんびり歩いていようものなら、流れに乗れない、あるいは流れに逆らっているような感じがして、なんとも落ち着かない。

 

都会におけるそんな日常のありふれた状況を通して、他人と上手く距離感が保てない若者の不器用さを、象徴的に描いています。

 

自分としては普通に振る舞っているつもりなのだけれども、他者とうまくかみ合わない。
すれ違いや誤解から、軋轢(あつれき)や衝突を起こしてしまうこともある。
そんなことは、まったく望んでいないのに、なぜだか上手くいかない。
ストレスが溜まりますよね。

1番A'メロ

この道 選ばなければよかったのか?
違う道だって 同じことだろう 誰かとすれ違うのが下手だ

何か言い方ややり方がまずかったのか。
もっと他に良い方法があったのかもしれない。
そんな思いに(さいな)まれてしまう。

 

けれども結局、何を選んだかではなく、自分自身の他者とのかかわり合い方の未熟さが一番の問題なのだと、主人公は気付くわけです。

1番Bメロ

他人(ひと)の目 気にしすぎるんだと (言われても)
僕はそんなに強く生きられない

他人は、自分が思っているほど自分に対して関心を持っているわけではありません。
まあ、他人のことより自分自身のことで精一杯というところもありますから……。

 

自己中ということではなく、誰しも自分にとって自分自身が世界の中心なのですよね。
ですから、自分に向けられる視線が常に気になってしまう。
言うほど誰も自分のことなど見ていやしないのですけれども……。

 

思春期は自我が目覚める時期でもあるため、ことさらに人の目が気になってしまう。
気にせずにいようと思っても、どうしても気になってくる。
自意識過剰と言われれば、それまでなのですけれども、そうした繊細さも思春期特有のものなのでしょう。

 

この主人公も、そのことを自覚しているのではないでしょうか。

1サビ

青春は
何度も何度も傷つくことさ
誰かの言葉 深読みし過ぎて…
自分がいけないとわかってるから 余計落ち込む
誰もみな
大人に大人になってしまえば
心に痛み 感じなくなるの?
いつも涙ばかり 流してるような そんな気がする (人に見せずに)
傷つくことが青春なんだね?

他人の言葉をことさらに深読みしてしまうからなのか、はたまた、読みが浅くて真意を掴み損ねているのか……。

 

相手はそんなつもりで言ったのではないにもかかわらず、バカにされているとか、嫌味(いやみ)を言われているとか、責められているとか、そんなふうにネガティブに受け止めてしまうのは、自分に自信がないからなのかもしれません。

 

自分が何者であるのか分からないという不安。
自分がまだ何者にもなっていないという焦り。
そうした思春期の心のざわめきが、感受性を過敏にしているのでしょう。
勝手に傷つき、自分を責め、落ち込んでしまう。
それを何度も繰り返している。

 

そして、大人になれば、そんな心の痛みを感じなくて済むようになるのだろうかと疑問を投げかけています。
確かに、大人になれば、思春期にありがちな心の痛みは感じなくなるでしょう。

 

「傷つくことが青春なんだね?」というフレーズは、辛い思いをして傷付くことが青春の証なのだろうかと、半信半疑で問い掛けているわけです。

2番Aメロ

真夜中 全力で走りたくなる
身体(からだ)の奥の若さの微熱を どこかで発散しなきゃ いけない

「若さの微熱」とは、あふれ出る感情やエネルギーのことを指しています。

 

若さゆえ、エネルギーが有り余っているのだけれども、そのエネルギーをどこで発散させれば良いのか分からない。
そんな抑えきれない衝動に、自分自身が戸惑っているのかもしれません。

 

何かやりたくてウズウズしているのに、自分が本当にやりたいことは何なのか、まだ見いだせていないのでしょう。
だから、わけもなく「真夜中 全力で走りたくなる」のです。

2番Bメロ

何が間違っているのか (正しいのか)
答え合わせがまだまだできない

未熟であるがために、自分のやっていること・やろうとしていることが本当に正しいのか、もしかしたら間違っているのではないかと、不安や焦燥に駆られてしまう。
それもまた、若さゆえということなのでしょう。

2サビ

青春は
気づけば気づけば過ぎ去っている
後悔ばかりが残ってしまう
人は誰もみんな自己嫌悪の中 うなだれながら
生きて行く
大人に大人になってしまえば
昔の傷口瘡蓋(かさぶた)になり
どんな痛みだって 感じなくなる術(すべ)を身につける (それはいいことか?)

人の生涯なんて過ぎてみれば短いものです。
その短い一生の中において、青春時代などアッという間に過ぎ去ってしまいます。

 

そんな短い青春時代であっても、若気の至りで気持ちばかりが先走り、失敗や間違いを犯すことも数知れないでしょう。
悩み傷つき、辛く苦しい思いをすることも多くて、後悔ばかりが積み重なっていくのではないでしょうか。

 

「昔の傷口瘡蓋(かさぶた)になり どんな痛みだって 感じなくなる術(すべ)を身につける」というのは、大人になる過程で耐性ができ、傷つくことに鈍感になってくるということを言っているわけです。
耐性ができるというのは、痛みを上手いこといなすための処世術が身につくということです。

 

思春期には痛みを真正面から受け止めてしまって傷ついていたけれども、大人になるにつれて、妥協や諦め、あるいは傍観や無関心などによって、自分が傷つくのを回避するようになっていきます。
また、思春期のようにあからさまに感情を表に出すこともなくなってきます。

 

それは、社会生活を営んでいく上では、生きやすくなることではあるのですけれども、感情の瑞々(みずみず)しさや、情熱を持って何かに向き合う心を失うことでもあります。
それゆえ、「それはいいことか?」と疑問を投げかけているわけです。

Cメロ

何もうまくいかなかったあの頃が
振り返ってみれば そう一番
輝いていたよ

何もうまくいかなくて辛く苦しい思いばかりしていた時代こそが、後から振り返ったときに最も輝いていた時期だったのだと気づくわけです。

 

人間というのは不思議なもので、その時は辛いし苦しいしで逃げ出したいと思ったりもしていたのに、ある程度時を経て、ふとその当時のことを思い出したとき、嫌な気持ちになることはあまりないのですよね。
もしかしたら、時の流れが記憶を美化しているのかもしれません。
もちろん、あの頃は苦しかったなと思うこともあるのだけれども、それ以上に、懐かしさとともに愛おしさが込み上げてくるのです。

 

おそらく、楽しかったことよりも、辛く苦しかったことの方が多かったはずなのだけれども、それでもそうしたことを全部ひっくるめて、何かに真剣に取り組んでいたあの頃は、結構幸せな時間を過ごしていたのだなと思うことができるわけです。

 

 

落ちサビは1サビの前半が再掲されています。
そして、ラスサビも1サビの後半が再掲されているのですが、最後のフレーズの前に「遠回りした分 (強くなれるはず)」という1フレーズが追加挿入されています。

 

「遠回り」とは、青春時代における不器用さや挫折の経験を指しています。
要領よく立ち回るスマートな生き方を「近道」とするならば、無駄に悩み、傷つき、葛藤しながら進む泥臭いプロセスが「遠回り」にあたります。

 

そんな「遠回り」を経ることで、将来の自分を支える心の強さや人間的な深みが身につくのです。
だからこそ、青春時代に傷付くことには大きな意味があるのです。

 

「(強くなれるはず)」と丸括弧付きになっているのは、心の声を表しています。
これだけ辛く苦しい思いをしてきた分、将来は今よりも強くなれるに違いないと信じているのです。
そこには、自分が経験してきたことを無駄にはしたくない、という切実な思いが、(にじ)み出ています。

 

そのうえで、最後の「傷つくことが青春なんだね?」というフレーズが来るわけです。
このフレーズは1サビと同じですけれども、1サビでは「青春とはこういうものなのかな」と、まだ半信半疑であったのに対して、このラスサビでは、「青春とはこういうものなんだよな」という納得に、ニュアンスが変化しています。

アウトロ

いつの日かのため 今は傷つくんだ
いつの日かのため 痛み忘れるな

このアウトロのフレーズは、今感じている心の痛みや葛藤は、将来の自分を形作るために必要なプロセスなのだ、ということを意味しているのでしょう。

 

誰しも傷つきたくないし、辛い思いもしたくない。
それでも、そうした経験を積むことが未来の自分の(かて)となるのであれば、それらを甘んじてこの身に引き受ける、という決意を示しているわけです。

 

青春時代は、まだまだ人として未熟なのに、気持ちばかりが先走り、失敗や間違いや挫折を繰り返してしまう。
そして、そのたびに傷つき苦悩する。
けれども、そうした経験は決してネガティブなことではなく、自分を強くし、未来の糧となってくれる。
まさにそういったところに青春時代の尊さはあるのだと、この曲は歌っています。

 

※引用:
秋元康 作詞, 山口寛雄 作曲, 山口寛雄 編曲
STU48「傷つくことが青春だ」(2025年)