この曲は、AKB48の9thアルバム「僕たちは、あの日の夜明けを知っている」の収録曲です。
この曲では、「靴」が主要なキーワードとして登場してきますけれども、もちろん履物としての「靴」を歌っているのではなく、自分自身、というよりも今の自分を自分たらしめているもの、つまりアイデンティティのメタファーとして用いられているわけです。
ちなみに、今の自分を自分たらしめているものというのは、これまでの人生で経験してきたこと、あるいは社会に出て得た役割や地位など、はたまた、習得したスキルや手法、そして思考形態や価値観など、これまで生きてきた中で身に付けた、あるいは身に付いたもの全てを総合したものということになります。
1番Aメロ
道の上に転がっていた
片方だけの靴は落し物
脱ぎ捨てたのか?脱げてしまったか?
気づかないわけないだろう
脱いだのか脱げたのかわかりませんけれども、片方の靴だけ置いてどこかに行ってしまったということですから、この人はよほど急いでいたのか、あるいは何かのっびきならぬ事情で気が動転していたのか……。
「靴」が大枠で今の自分を形成してきたものと捉えるならば、そのすべてではないにせよ、一部もしくは半分を捨て置くということですから、現状の自分では上手くいかないことがあるということを暗示しているのではありませんかね。
例えば、今までの自分のやり方だとか考え方、あるいは今の立場や実力など、そういったものが通用しないとか。
自ら脱ぎ捨てたというのであれば、今持っているものが役に立たないから手放したとも考えられますし、脱げてしまったというのであれば、太刀打ちできなくて削ぎ落されてしまったとも考えられますよね。
いずれにせよ、この人は何らかの挫折に直面しているということなのでしょう。
1番Bメロ
人生のぬかるみを
避(よ)けて通れないなら
今すぐ裸足になって歩けばいい(歩けばいい)
どこまででも…
「人生のぬかるみ」とは、人が生きていく上で必ず、そして何度となく遭遇することになる挫折や逆境のことを指しているのでしょう。
そうした避けられない困難に直面したとき、なまじプライドや立場があると、そうしたものが傷ついてしまうのを恐れて足を止めてしまう。
靴を履いていると、その靴を汚したくなくて、ぬかるみの前で立ち止まってしまうように。
ならば、いっそのこと、その身に纏っている鎧(プライドや立場など)を脱ぎ捨てて、困難の中に飛び込んでみてはどうだというわけです。
鎧は自分の身を守るものではあるけれども、自由な動きを妨げるものでもありますから。
1サビ
靴紐 どうやって結ぶのか?
僕らは生き方を(生き方を)探している
どこかで解(ほど)けてしまった何かは
もう捨てて行け(捨てて行け)
過去の夢なんかに縛られるな
自由になれ
「靴紐 どうやって結ぶのか?」というのは、直後の歌詞にもありますように、「どう生きていけば良いのか?」と自問しているわけです。
生き方を「靴紐を結ぶ」ことに、そして、生き方に迷ったり情熱が失われたりすることを「靴紐が解(ほど)ける」ことに喩えているのでしょう。
これまでに築き上げてきた実績や過去の成功体験など、あるいは今までの考え方や価値観など、そうしたものがもはや何の役にも立たないとなったとき、これから先、何を頼りにどうやって生きていけば良いのやら。
大いに悩み、大いに迷うところですよね。
そんなときには、これまでに築いてきたそうしたものに執着せずに、もっと自由になってみれば良いというわけです。
古びたものに縛られているから迷うことになるのだということでしょうかね。
2番Aメロ
人は誰も成長する度
何度も履き替えるけど…
人は成長していく過程でいろいろなものを身に付けていく。
それらは積み重ねていくものであって、「靴」を履き替えるように簡単に交換できるようなものではありませんよね。
考え方だとか価値観だとか、時代に合わせて更新しなければならないというのは、近頃よく聞く話です。
けれども、これまでそうした古い考え方や価値観で生きてきた経緯があるわけですから、それをまるでなかったことにして、まるごと入れ替えるなんてことには、どうしたって無理があるような気がします。
あくまでも、これまでの考え方や価値観で生きてきたことを踏まえて、その上で新しい考え方や価値観を自分なりに咀嚼して積み重ねていくということになるのではないでしょうか。
そうでなければ、その人がこれまで生きてきた歴史の連続性や一貫性が失われることになってしまいますから。
さて、ここには「何度も履き替えるけど…」というフレーズがありますけれども、このフレーズは、後の2サビにあります「新しい靴はいらないさ」というフレーズに繋がっていくのではないでしょうか。
2番Bメロ
がむしゃらに走ったら
足元を見てられない
途中で立ち止まって気づくだろう(気づくだろう)
緩んだもの
必死になって走っているときには、足元の靴の状態を気に留める余裕などありませんよね。
走り疲れて一息つこうと立ち止まったときに、ふと足元を見やって、靴紐が弛んでいることに気付くわけです。
人生も同じことで、懸命になっているときには、自分が身に付けたものの有用性や有効性を省みる余裕などありませんよね。
例えば、自分が持っているスキルや価値観など、時代の流れとともにどんどん陳腐化していくけれども、懸命になっていると、それになかなか気付けないものです。
何かの拍子にふと立ち止まったときに、初めてそのことに気付くわけです。
2サビ
靴紐 もう一度結ぼうか?
あの頃目指してた(目指してた)自分の道
絶対 解(ほど)けないように縛った
あの決心よ(決心よ)
新しい靴はいらないさ
履きつぶせ!
古びた「靴」を履き替えるのではなく、今履いている靴の靴紐を結び直すというわけです。
これはどういうことを言い表しているのでしょうか?
「靴」をアイデンティティと捉えるならば、そう簡単に取り換えられやしませんよね。
むしろ、交換すべきものではないのではありませんかね。
今の自分を形成してきたものはそのままに、その上に新たなものを積み重ねていく。
必要なのは、生き方を見直し、新たにしていくこと。
そういうことなのではありませんかね。
「新しい靴はいらないさ」というのは、古い考え方や価値観、過去の実績や成功体験、そういったものへの執着心は捨てるべきだけれども、今の自分を形成してきたものを捨てる必要はないということを言っているのではないでしょうか。
「履きつぶせ!」というフレーズは、古い靴(今の自分)には、これまで歩んできた確かな歴史が刻まれているのだから、ボロボロになるまでその靴(自分自身)を使い切れということを主張しているのでしょう。
ラスサビ
靴紐 どうやって結ぶのか?
僕らは知らぬ間に(知らぬ間に)覚えてたけど
誰かに教わったわけじゃないだろう
そう不器用に(不器用に)
他人(ひと)の真似なんかをしなくていい
自分らしく
確かに、靴紐の結び方をどうやって知ったのかなんて覚えていませんよね。
とはいえ、おそらく最初は誰かに教わったのでしょう。
そのうちだんだんと自己流の結び方になっていったのではありませんかね。
要は、これなら解けないと自分が思える結び方であれば、それで良いわけです。
人生も似たようなものでしょう。
最初は見よう見まねでいろいろなことを覚えていくのだけれども、そのうち自分なりのやり方になっていく。
自分にとっては、これが性に合っている、あるいは一番やりやすいと思えるのであれば、どれほど無様であろうと、どれほど不器用であろうとも、それで良いのですよね。
アイデンティティは、自分がこの世に誕生して以来、今の自分を形作るのに積み重ねられてきたものの総合であり歴史なのですから、交換不能なものですよね。
大切なのは、そうしたアイデンティティを踏まえたうえで、今の自分を生かす生き方は何なのか、それを模索し続けるということなのでしょう。
この曲は、そうしたことを歌っているのではないでしょうか。
秋元康 作詞, KEIT 作曲, 板垣祐介 編曲
AKB48「靴紐の結び方」(2018)
