この曲は、NMB48の2ndシングル「オーマイガー!」のカップリング曲です。
NMB48は2010年に発足して、翌2011年7月にデビューシングル「絶滅黒髪少女」をリリースしています。
そのデビューシングルからわずか3ヶ月後には、早くもこの2ndシングル「オーマイガー!」をリリースしていて、その頃のAKB48の勢いを追い風に、NMB48もかなり勢いづいていたことが伺われます。
ところが、その2ndシングルのリリース前に、NMBでは一騒動あって、活動自粛や選抜除外といったペナルティを課されるメンバーが続出してしまったのですよね。
しかも、ペナルティを課されたメンバーの中にはグループの中核を担うような者も含まれていて、せっかくグループが勢いに乗っているときに、水を差すことになってしまったわけです。
この騒動により、当該メンバーが受けたダメージも大きかったでしょうけれども、周りのメンバーたちやファンの人たちも相当に動揺したことでしょう。
この曲は、そうした事態を受けて、秋元Pがメンバーたちや、あるいはファンの人たちに向けて送ったメッセージと捉えることができるのではないでしょうか。
Aメロ
誰かが道に迷った時は
どこへだって探しに行く
誰かが足を痛めたら
僕は肩を貸すだろう
仲間が窮地に陥ったならば、何があろうとも手を差し伸べて力を貸す。
決して見捨てたりなどしない。
仲間に対する、そうした揺るぎない決意を示しているのでしょう。
「道に迷った時は どこへだって探しに行く」というのは、魔が差すなどして何かやらかしてしまっても、それで見限ったりなどしないで、自分たちが進むべき道に必ずや連れ戻すということを言っているのでしょう。
「足を痛めたら 僕は肩を貸すだろう」というのは、何か失敗を犯してやる気を失ってしまったとしても、自分の力を貸して無理やりにでも前へ進ませるということなのではありませんかね。
Bメロ
どんな困難が待ってても
弱音なんか言ったりするな
だって いつかは夢の場所まで
行こうと誓った仲間じゃないか
どんなにつらく苦しい状況に置かれても、決して弱音を吐くなというわけです。
なぜ、そんなに叱咤するのか?
それは、グループとしての大きな目標を共有している仲間だから。
そして、単なる友達ではなく、同じ夢を抱いた同志だから。
サビ
生きることは
傷つくことだ
過ちばかりを繰り返すもの
まわりの人に迷惑をかけて
「置いて行って」と泣く君を
僕は見捨てない
アイドルだからといって常に品行方正な聖人君子などではなく、不完全な生身の人間なのですよね。
躓きもすれば過ちを犯すこともある。
それで自分が傷ついたり、周りに迷惑をかけたりすることもあるでしょう。
けれども、そうしたことを含んだうえでの、その人の人生なのですよね。
やらかしてしまった罪悪感や無力感から自己嫌悪に陥り、思わず自分を「置いて行って」と口走ってしまうこともあるかもしれません。
こんな自分はもう見放されても仕方がないという諦めの表れでしょうかね。
それでも「僕は見捨てない」というわけです。
自分を諦めかけている者に対して、僕は君を諦めないと言っているのですよね。
これ以上ない仲間思いの言葉なのではありませんかね。
Cメロ
君の荷物が重いのならば
その半分を持ってあげる
だから もう一度歩き出そう
脱落者は出したくないんだ
負けるな
過ちを犯した者は、後悔と贖罪の重荷を背負って歩かなければならない。
時には、その荷が重過ぎて歩みが止まってしまうこともあるかもしれません。
そんなときには、全てを代ってあげることはできなくても、「君」が歩き続けられるようにその負担を分かち合おうというわけです。
仲間内から「脱落者は出したくないんだ」ということでしょうね。
誰一人欠けることなく、グループとしての大きな夢を叶えたいという切実な願いが込められているのではありませんかね。
落ちサビ
思い出せよ
自分の夢を…
こんなところであきらめるのか?
寄り道しても少し休んでも
君がまた歩き出す日まで
僕は待ってる
一度挫折をしてしまうと、当初抱いていた情熱を取り戻すのは容易なことではありませんよね。
かと言って、一度や二度の挫折で夢を諦めてしまうのは、あまりにももったいない。
そんなに簡単に諦めてしまっては、必ずや後悔が残ることになってしまう。
だから、諦めるなと言っているのでしょう。
ただ、気持ちが萎えているときに、今すぐ気合を入れて走り出す必要はないとも言っている。
しばらくは心身ともに休ませて、気持ちを整えたうえで、もう一度走り出してみようという気になったなら、立ち上がれば良い。
その時が来るまで「僕は待ってる」というわけです。
なかなか忍耐のいることではありますけれども、この「僕」は仲間の可能性を信じているのでしょうね。
これもまた同志愛ということになるのでしょう。
ラスサビは最初のサビの繰り返しになっています。
さて、この曲を通じて秋元Pは、いかなるメッセージを送っていたのでしょうか?
まず前提として、人は過ちを繰り返してしまうものだというのがありますよね。
まあもっとも、何度も何度も同じような過ちを繰り返すというのも困ったものではありますけれども、一方で、人生において一度も過ちを犯したことがないという人などいないのではありませんかね。
全くいないとは断言できませんけれども、圧倒的大多数の人は何かしら身に覚えのある過ちを少なくとも一つや二つは犯しているはずです。
そうした前提に立ったうえで、過ちを犯したメンバーに対しては、突き放すことなく、まだいくらでもやり直せるのだから戻って来なさいと、暖かく見守っているわけです。
もっとも、暖かく見守ってはいますけれども、これでやる気を失って諦めるのであれば、所詮はその程度のことだったのだろうと冷厳に見つめてもいるのではありませんかね。
周りの他のメンバーたちに対しては、「僕は見捨てない」、「僕は待ってる」といったフレーズで示されているように、グループとしての大きな夢を叶えるため、脱落者を出さずに全員で支え合って進みなさいと言っているのでしょう。
そして、同じく「僕は見捨てない」、「僕は待ってる」といったフレーズに、傷ついた彼女たちをもう一度受け入れてほしいという願いを込めて、ファンの人たちに対してメッセージとして送っているのではないでしょうか。
運営がどう考えているかはともかくとして、かように秋元Pとしては、過ちを犯したメンバーたちを、契約違反だとかコンプライアンス違反だとかでない限り、安易にクビにするという考えは、そもそもないのでしょう。
むしろ、挫折したところからいかにして再起するのか、あるいはこのまま潰れてしまうのか、そうした物語がどう描かれていくかの方に興味があるのではないでしょうか。
それを寛容と受け取るか、冷徹と受け取るかは人それぞれでしょうけれども……。
秋元康 作詞, 酒井康男 作曲, 野中“まさ”雄一 編曲
NMB48「僕は待ってる」(2011)
