48グループの楽曲には実にさまざまなジャンルの曲があって、恋愛ソング(主に失恋ソングや片思いソング)や友情ソングはもちろんのこと、社会への反抗を歌ったロックや硬派なメッセージソング、さらには反戦ソングなども意外に多い。
そうかと思えば、およそテレビの歌番組では披露できそうにない、自殺や援交を扱ったようなきわどい曲もある。
そんな中で、ノスタルジックな曲(そこには卒業ソングなども含まれるでしょう)も、ひとつの大きな柱になるくらい数多くの曲が存在しています。
もしかしたら秋元Pにしてみれば、自分の心情を最も素直に投影しやすいのが、ノスタルジックな曲なのかもしれませんね。
実際のところ、詞もメロディもきれいな良い楽曲が多いように思います。
この「潮風の招待状」も、そんなノスタルジックな曲のひとつになります。
この曲とテイストのよく似た作品には、「あの日の風鈴」(AKB48「ギンガムチェック」のカップリング曲)という楽曲もあります。
「潮風の招待状」では田舎の祖母の家へ、「あの日の風鈴」では祖父の家へという違いがありますけれども、どちらもただ単に子供の頃を懐かしむだけでなく、大人へと成長した自分自身を見つめ直すという点において共通しているところがあるように思います。
さて、この曲はAKB48・チームB「シアターの女神」公演の構成曲で、本編の最後に歌われている曲になります。
1番Aメロ
海岸線を走る列車で
家族と向かった夏休み
長いトンネルを抜けた時に
麦わら帽子が飛ばされた
子供の頃の回想シーンといったところでしょうか。
夏休みに家族旅行に出かけたときの1コマなのでしょう。
「長いトンネル」というのが、日常と非日常との境界線を表しています。
それこそ、川端康成の「雪国」ではありませんけれども、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」とありましたように、トンネルのこちら側とトンネルを抜けた向こう側とでは、まるで別の世界が広がっている。
トンネルは、そうした別世界を行き来するための「装置」というわけです。
そんな真っ暗なトンネルから抜け出た瞬間、風圧で麦わら帽子が飛ばされたのでしょう。
たわいもない一瞬の出来事ではありますけれども、この主人公にとって、それが子供の頃のワクワクした夏休みの記憶を呼び覚ます象徴的な出来事なのかもしれませんね。
1番Bメロ
あの頃の絵日記を
開く度 思い出すよ
蝉の合唱と
壊れた扇風機
「絵日記」で視覚を、「蝉の合唱」で聴覚を、そして「扇風機」の風で触覚を、そうした五感を通じて、夏休みの記憶が蘇ってくる。
「壊れた扇風機」というのが、なんとも味があって良いですよね。
そうしたアイテムがまた郷愁を誘うわけです。
この1番のAメロ、Bメロの歌詞を見る限りではわからないのですけれども、後に続く歌詞を見てみると、この家族旅行というのは、どうやら夏休みに恒例となっている、田舎の祖母の家に行くことを指しているようですね。
1サビ
潮風の招待状
もらったよ
おばあちゃんの家まで
久しぶりに出かけよう
縁側に寝転んで
昼寝しよう
「潮風の招待状」というのは、湧き上がってきた郷愁のことを言っているのでしょう。
Aメロ、Bメロと子供の頃の夏休みの記憶が呼び覚まされていますけれども、それが郷愁を誘い、久しぶりに祖母の家に行ってみようかという気持ちになったわけです。
この主人公は、すでに大人になっていて、日々忙しく仕事に明け暮れていたのでしょう。
田舎の祖母の家にも、なかなか行く余裕がなくて、足が遠のいていたのではありませんかね。
そんなある日、営業回りか何か、仕事で海沿いの道を車で走っていたときに、潮風に乗って漂ってきた磯の香り。
田舎の祖母の家も海沿いの町だったのでしょう。
懐かしいその香りを嗅いだ瞬間、思わず子供の頃の夏休みの記憶が蘇ってきたというわけです。
仕事の忙しさに疲れ気味の主人公としては、子供の頃、祖母の家の縁側で寝転んで昼寝していたときのことが思い出されて、そんなのんびりとした何もしない贅沢な時間を過ごしてみたいと、ふと思ったのかもしれません。
2番Aメロ
冷たい井戸の水に漬けてた
スイカは田舎の味がした
種の飛ばし方 見せてくれた
従兄の笑顔が懐かしい
再び、子供の頃の回想シーンになっています。
ここでは、祖母の家がある田舎の風景が描写されています。
「冷たい井戸の水に漬けてたスイカ」というのが、都会ではまず見かけない、典型的な田舎の風景、なんとも風情のある風景ですよね。
縁側に腰掛けてスイカの種を庭に向けて飛ばすなんてことも、田舎ならではの懐かしい光景なのではありませんかね。
そんな子供の頃の夏休みの記憶が、懐かしさとともに蘇ってくる。
2番Bメロ
浴衣着た夏祭り
綿菓子が好きだった
空に打ち上がる
大人びた花火
田舎では浴衣を着て夏祭りに出かけたりもしたのでしょう。
幼い頃は綿菓子が好きで、よく祖母にねだったりもしていたのでしょうかね。
それが、だんだん成長していって思春期を迎える頃には、綿菓子のような嗜好品への興味よりも、花火のような情緒的な美しさへの興味のほうが強くなっていったわけです。
つまり、幼少期から思春期、そして大人へと成長していく過程において、その折々の1コマとして、夏休みに田舎の祖母の家で過ごした日々があったわけです。
2サビ
潮騒の招待状
聞こえるよ
入道雲の彼方に…
主のいない瓦葺き
石段に腰を掛けて
話しよう
さて、ここにきて初めてわかるわけです。
実は、祖母は既に亡くなっているということに。
「主のいない瓦葺き」という表現が、それを表しているということになります。
「潮騒の招待状」というのは、その祖母の懐かしい声が頭の中に蘇ってきたということなのではありませんかね。
そして、「石段に腰を掛けて 話しよう」とありますように、姿は見えなくても心の中で祖母と「対話」をしようとしているわけです。
Cメロ
海が見える丘で眠っている
今も おばあちゃんが
待ってくれてるようで…
悲しみは いつしか
美しい花になる
祖母の墓は海が見える丘にあるのでしょう。
そこを訪れると、祖母が待ちわびていてくれたような気がして、懐かしい気持ちが込み上げてくる。
この主人公は、おばあちゃん子だったのでしょうかねぇ。
子供の頃はずいぶんと可愛がってもらっていたのでしょう。
そんな祖母も今はもういないということが悲しみを誘う。
けれどもその悲しみも、時が流れ、自分も大人になっていくにつれて、祖母への感謝の念へと変わっていく。
そして、懐かしい思い出だけが心に留まり続ける。
そこには、主人公の精神的な成長が表れているのではありませんかね。
落ちサビは1サビの繰り返しになっています。
ラスサビ
潮騒の招待状
聞こえるよ
入道雲の彼方に…
一人きりで出かけよう
喜んでくれるはず
よく来たねと…
大人になった私のこと
見守っていてね ずっと
前半は2サビの前半と同じで、後半が、ひとりで訪れるという話に変わっていますね。
子供の頃は、親に連れられて家族みんなで訪れていたけれども、大人になって自立したのですから、ひとりで訪れてみようということなのでしょう。
ずっと自分の成長を見守ってくれていた祖母に、大人になった自分を報告しに行こうということでしょうかね。
きっと、祖母も喜んでくれるはず。
大人になって、社会人として忙しい日々を送る中で、心身ともに疲れが溜まってきていた時に、ふと郷愁に駆られて亡き祖母の墓参りでもしてみようかと思い立ったのでしょう。
子供の頃、夏休みに田舎の祖母の家へ行き、そこで過ごしたゆったりとした時間が懐かしくなったのかもしれません。
ひょっとしたら、大人になってからは一度も祖母の家に行っていなかったのかもしれませんね。
自分が大人になったということを報告するために、久しぶりに祖母の家に行く(墓参りをする)ことにしたわけですけれども、それは、自分にとって最も気持ちが安らぐ場所に身を置くことで、気持ちをリフレッシュさせるということだったのでしょう。
そして、自分は大人になったのだという自覚と祖母への感謝の気持ちを新たにするということでもあったのではありませんかね。
エンディングの「大人になった私のこと 見守っていてね ずっと」というフレーズには、主人公のそうした心情が込められているのではないでしょうか。
ところでこの曲は、1番だけ聴くと、子供の頃の夏休みの思い出といった内容に過ぎないのですけれども、2サビからエンディグにかけて聴いてみると、次第に味わいが深くなっていきますよね。
そしてその味わいは、そこに至るまでの1番や2番前半の歌詞があったればこそという面もあるわけです。
随所にちりばめられた郷愁を喚起するアイテム。
1番の歌詞にあります「絵日記」(視覚)、「蝉の合唱」(聴覚)、「壊れた扇風機」の風(触覚)など。
そして、2番の歌詞にあります「潮風」(嗅覚、触覚)や「冷たい井戸の水」(触覚)、田舎の味がする「スイカ」(味覚)、夏祭りの「綿菓子」(味覚)、「花火」(視覚、聴覚)など。
五感に訴えかけるようなこうしたアイテムが、効果的に配されている。
なかなか巧みですよね。
歌詞職人・秋元Pの真骨頂といったところでしょうか。
こうした前段があるから、終盤にかけての歌詞の深みが増してくるわけです。
そう考えると、やはり楽曲はフルで聴きたいところですよね。
楽曲の本当の味わいは、フルで聴いてこそわかるものだと思いますので。
秋元康 作詞, 黒田賢一 作曲, 木之下慶行 編曲
AKB48「潮風の招待状」(2010)
