舞台を観ていて
俳優の台詞がなんだか
スーッと頭の上をかすめていってしまう
感覚になる時がある。
キャラクターとしては
活きているのに
キャラクターと役と演者がピタッと
はまってない。
例えば20代の若い方が
80歳の老人を演じれば
見かけはメイクや衣装でいくらでも
おばあちゃんになれるが
声はやはり老人になれない。
声優さんのレッスンなどでも
『老け役』が出来るかは
仕事を取る上で大事らしい。
女性が男性の役をやるなども
同じような原理でもある。
ボイストレーナーとしては
この『老け役』の
声を作る手法は
クラッシックの女性声区の
【コントラアルト】
の発声法を使えばできる。
細かな手法はさておき
声の色は適切な技術を
チョイスして身に付ければ
さほど難しいとは
私は考えていない。
難しいのは
台詞を話す際に
その声の色を
いかに母音に反映させ
全ての母音を色の安定化を
はかりながらも
違う明度にするかだ。
例えば
⚫︎わたあめ
母音だけで発音したら
⚫︎あああえ
になる。
最初の⚫︎あ
は明るいが
次のわたあめの
『た』の⚫︎あ
は更に明るい響きの色になる。
と言った具合いに
母音の明度が咽頭のスペースや口腔内により微細なチューニングが必要で
またそれに音程がつく歌唱。
歌になればより難易度が高い。
音程という高低差と
母音の明度は必ずしも一致しない。
私はこれらを
【完璧な美しさ】
として提唱するし
特に舞台やミュージカルを
生業とされる方には
マストなテクニック。
もちろんどんなパフォーマーにも
営業のお仕事や教師や接客業の方にも
身に付けて欲しい技術ではある。
なぜならば
母音のパワーの威力こそが
人に伝わるエネルギーと
言ってもよい。
世界を見渡しても
マントラや唱明やお経も
母音をしっかりと
歌い上げてエナジーとしている。
『音のパワーは母音にあり』
〔節子語録)
と言っても過言ではない。
台詞や話し言葉の
母音の色が単調にならない。
そしてそれを瞬時に
変化させる機能を持ち合わせ
表現に活かせたら
『音魂』は
(節子語録)
効果的な拡がりになる。
この拡がりはより自分の
表現の多様性に必ず気付くことに
繋がる。
何かしら身体に響く音が
深部に作用するのだ。
美しい声。個性的な響き。
動きある言葉。
私は大切にしたい。
レッスンにいらっしゃる方々が
花粉症だと訴える。
季節柄仕方ないが
花粉症はそもそも私が生まれた頃には無いものだったと思う。
大気汚染や食べ物
環境や住空間の変化で
起きたアレルギーである。
春は花粉症
夏はクーラーによるトラブル
秋はブタクサアレルギー
冬は乾燥
1年を通して身体も喉も
バランスを崩しやすい。
そもそも江戸時代にアレルギー
自体が無かったんではないかと
想像する。
花粉症の方は粘膜に炎症が
起きているため
浮腫みも生じ声が出しにくく
なるし、響きにくくなる。
あまりにも酷い場合は
別として
ある程度の炎症の時は
声を出して改善できる
場合もある。
ましてや本番があるときは
花粉症だろうが
なんだろうが
ベストパフォーマンスを
しなくてはならないのが
アーティストの宿命だ。
この花粉症の真っ只中は
どうか、加湿と鼻うがい。
①あとは鼻を強くかまない。
②咳払いをしない。
③鼻をすすらない。
これは本当に喉の健康に良く
ないのだと学生時代に
耳鼻科のドクターから
教えて頂いたことを
皆様にお伝えしたい。
因みに私はなぜか
花粉症が治ってしまった
人間だが
恐らく日常的に
健康のために
漢方を服用したり
1番は筋肉を
しっかり伸ばす運動が
免疫力アップに繋がると
思う。
身体あっての心だからこそ
身体のケアを怠らないこと。
人間には生命を維持しようとする機能が備わっている。
人と闘わず、花粉とも
闘わずすればよいのかな。
と思ったりもする春。
ご自愛をください。
と皆様にお伝えしたい。
LAからアクティングコーチの
レジェンドであるIvanaが来日しワークが終わった。
私も2016年、2018年とLAに渡り、
日本でのアクターとしての登壇は2回目。
彼女は演じることをやめさせる。
人間は日常で様々に自分を演じている。
演じわけている。
顕在意識は日常が自分にとり都合良く、
安全であるように、日々、無意識に演じるのだ。
人間100%演じて生活しているのだ。
何かの役割を果たすために。
自分にとり状況が安全であるために。
例えば素敵な男性の前で、
女性が自分をより良く見せるために演じている。
よくある光景だ。
「彼女、芝居うまっ!めっちゃぶってるじゃん!」
みたいな会話。
人間みなウワベを演じてます。
そして俳優の仕事は
『演ずる』ことなのだ。
意味に違いはあまりないが
このふたつの言葉は使い方が違う。
『演ずる』ために
私達は潜在意識にダイブする必要があります。
潜在意識の実態は化学では照明されていないが心理学や量子力学の分野では
当たり前の世界である。
『意識』という人間の中にある
宇宙には様々な情報が膨大にあり
それらを意識化し『演ずる』
ための素材として活用する必要がある。
演劇と言う虚構にリアルな自分を
使うことから『演ずる』のである。
そのことでオーディエンスに共振が起こる。
ギリシャ悲劇は演劇の原点でもあるが
結局はカタルシスを起こすことが
いかに重要なのかをギリシャ時代の先人は知っていたのだと納得する。
昨今のエンターテイメントは
愉快や爽快や充実や感動を呼び起こすが
カタルシスにはつながっていないと感じるのだ。
それは演じ手のリアリティを
最大限活用していないからだ。
じんわりと長い時間心に留まり
満たされる感覚。
それをできる演技術。
表現者、アートとは
自分の潜在意識にダイブする
快感を知っている者。
であると私は感じる。
Ivanaのワークを経て
自分が実に満たされた人間だと
気づいた。
愛や慈しみを超えた
ただ満たされ感覚が身体を抱いている。
これが真に『演ずる』
ことをしたエクスタシーなのだろう。
潜在意識への一石を投じること。
人が人生を通し、
演じず、ありのままの自分を
抱きしめる旅をし旅を終えたい
ものだ。
そして素晴らしいアートを
人生で出会うオーディエンスと
共振、共有したい。
💠潜在意識の旅をするワークをします。
アーティストに必要だと感じます。

