イメージとは何だろう~と考えています。
イメージは通常は一番早い時期である子供時代に
作られます。
これは多くの場合幼児期に突然、予期なく起こった
経験による印象です。
この印象、あるいは態度が、人格や性格と絡み合い
イメージは形成されていくのではないかと思います。
年月が経つうちに、この結論付けらたイメージと態度は
無意識の奥に入り込んで行きます。
それは、いうまでもなく、その人の人生を形作る事に
なるでしょう。
イメージには健康的な物と不健康な物がある。
間違ったイメージで作り上げられていない部分においては
全て、思考と感情は穏やかで柔軟性があります。
しかし、間違ったイメージから発生した考えや感情や態度は
停滞し詰まって止まってしまいます。
その部分から何かを他者に与える事などは不可能です。
意識上で強烈に何かを望んで願っても、特定のイメージの
下では弱くなります。
意識的に望んでいながらも、自らの姿勢によってそれを禁じています。
自分の人生に問題が無い人はいないでしょう。
しかし、それらに全面的に正直になり、
喜んでその不愉快な部分を感じることなど
したくもない態度が本当の所だと思います。
そして、それらの不快な部分を
自分の外に持ち出して、責任は外界や、
目の前にいる人のせいにしておくのです。
感情は押さえ込まれるか、他者にぶつけるか、
または無かった事のように流してしまいます。
しかし、こういった態度や思考は特定の災難や困難を人生へと
作り出す事になります。
恐怖や抵抗を感じるのではなく、消す事に
必死になります。
力や、意思の使い方を誤ってしまいます。
不愉快な体験は自分のイメージからきているものとゆう
真実からは離れ、自己中心的なプライドと意思の中で
人生を過ごす事になります。
真に人間として持っている、謙虚さや柔らかさ
から離れていきます。
そして、単にそれを装った所で、精神分析的な用語では
ペルソナやマスクセルフ。
理想の自分を演じる事になります。
真の自己を感じきった所からしか、
願いを叶える鍵と繋がる事は無い事を
子供の自己は知らないのです。
誤ったプライドを克服する準備ができることが、
自分を助け、次の扉へと進む事なのです。
間違ったイメージは
無知な子供であり、視野が狭いものです。
充分に人間として備わっている知恵へと開いて
見てください。
自分の人生にどんな問題を持って来ているのか。
それを知る事で、残りの人生そのものの質に変化が
起きるのは当然の流れでしょう。
自分の思考や概念、思い込みで出来たイメージが
信念かされ、自分自身を歪める事は、
更に内在化された恐怖を増幅し、力を持たせます。
そして、その恐怖を消す事だけが幸福への道であり
人生の目的だとゆう勘違いに支配されていることに
気づく事はないでしょう。
仕方なしにではなく、喜んで人生の不都合さや罪悪感、
不愉快さに開き、感じきった時に真の自分の姿が
浮かびあがってきます。
それは決して、理想的な自分ではないかもしれません。
しかし、その道を通ってこそ、願いに手が届くと
浄化の道です。
私達が実は全てを兼ね備えた、不完全で完全な人間で
あることに開く事が、自分を愛する事へと
繋がっていけるのだと思います。
不要なイメージを見つけ出す作業は簡単な事では
無いかもしれませんが、
自分の今までの人生全体を通して充分に問題を
発見する事は出来ます。
そして、それに勇気と謙虚さをもってコツコツと
取り組む姿勢こそが、
人生の活力や充実感、満たされた感覚を感じられる
スペースを取り戻す事になります。
…とこんな事を考えて過ごす本日です(笑)
そろそろお昼ご飯の時間です。
今日は美味しい麺を食べることにします。