自分の人生に責任を持つ | せつこのココロ 〜ありのままの自分を受け容れ、私が私の最強の味方になる♪〜

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『ありのままの自分を受け容れて輝きたい✨』

どんな自分も、認め、受け容れ、私自身が私の最強の味方になる!

そんな自分に向き合う日々で得た元気をお届けします♪

「自分の人生に責任を持つ」
頭ではそうしなければダメだと分かっているのに、怖くて逃げたくなる。

どうしてそんなに怖いのか、ようやく腑に落ちた!


いつも楽しみにしている佐藤由美子先生のブログ。
きゃ~! 今回の記事、めっちゃ刺さって痛いですぅ💦
“「魔法をかけてもらえる」「救ってもらえる」
という、すがってくるパターンです。
このパターンの方はその状態でいる限りは
「200%変わらない」と断言できます。

なぜなら、その状態にいる人は
「人生に責任をとろうとしていない」
からなのです。

無意識ですが
・「被害者意識」を手放そうとしない
・人のせいにしたがる
というパターンを抱えています。

 あるいは
「早くうまくいく正解を教えてください!」
というパターンもそうです。

「魔法をかけてもらえる」
「救ってもらえる」
「早くうまくいく正解を教えてください!」
どれも、大前提では自分を無力な存在と
設定してしまっているのです。

なので、このタイプは
「力のある人」「権威のある人」
と本人が思っている人の意見にコロコロ振り回されやすいです。

Aさんがこう言ったので~~と決める。
でも、うまくいかないので今度はBさんに答えを聞いて決める。
でも、うまくいかないので・・・

これを繰り返してしまうのですね。

 これはね……
そんな自分を辞めない限りずっとうまくいきません!

誰かに救ってもらうのではなく
「自分が自分の選択に責任をとる」
と本気で決めないと、変われません。”


う~!! 出血多量で死んでしまうぅ〜!

えぇ、被害者意識で、自分は正しいのに傷付けられた可哀相な私ごっこが大好物です。
自分の責任なんて認めたら、自分のせいで自ら苦しんでいるだけで、ちっとも可哀相なヒロインじゃぁなくなってしまいますから、イヤですわ。
あぁ、誰かこんな私を助けて!
どうしたらいいのか、教えてください!!
もう苦しいのはイヤなので、すぐに楽になれるヤツでお願いします。
私は言われた通りにちゃんとやったのに、うまくいかなかったから、今度は是非ちゃんと効果があるやつを教えてくださいね♪


『どこで見てたの⁉️  私に言ってますよね?』
そう思う程、グサグサと突き刺さった。


もう、被害者意識の可哀相な私は止める!

良くも悪くも、すべては自分の選択の結果。
それをどう受取り、活かすかも自分次第。

自分の選択に責任を持つことは、自分次第でどうにでも変えられるという、とっても自由で素敵なことだ!

そう思って、『自分の人生に責任を持とう!』と決めたのに、不安と怖さが付き纏って離れない。


ふと浮かび上がってきた、古い記憶のワンシーン。

床に正座させられて、父から延々とお説教され続けるお馴染みの場面。
何を言っても、そうじゃないと否定され、上から押さえつけられて身動きできないような、息が詰まりそうなあの瞬間が蘇る。
思い出す度、心が痛くてたまらない。

解放されるためには、父の求める正解に辿り着かなければならない。
顔色を伺いながら、必死に正しい答えを探る。

これならどうだろう?
じゃぁ、こっちなら良いのかな?

何が正しいかではなく、父はどう言えば許してくれるのか、解放して貰えるのかが大事だった。

でも、結局何を言っても、何をしても無駄。
無力感に苛まれる苦痛な時。
無表情に項垂れて床を見つめているうちに、床の模様が踊り出す。
でも、ぼーっとして別のことを考えている事も許されない。
ただただ、父が「もういい」と言ってくれるのをひたすら待って耐え忍ぶ、心が殺されるような辛い記憶。


自分で行動すると、間違えたら怒られて嫌な思いをする。
言われた通りに従っていれば、少なくともあの苦痛を味わうことはない。

いかに父に気に入られるか、父の機嫌をとって可愛がって貰えるか、それがそこで生存する為に必要だった。


間違えることをひどく恐れる私。
相手の求める正解であろうと必死な私。
不安で相手の顔色を伺って、ビクビクして緊張してしまう私。

鍼の研修時代があんなにも辛かった理由がまた一つ分かった気がした。

自分のした治療に対して、何を根拠に選択したのか、その結論を出す為にどんなことをして確かめたのか、どんな効果が期待できるのかをきちんと説明できることが求められた。
その選択が曖昧で根拠に欠けていれば、とことん問い詰められた。
医療なのだから、当然求められる厳しさだった。

「自分で考えて行動する」と、「最適な選択と行動をする」が一致しない時、どうするべきだったのか、何が必要だったのか、正解を答えるまで責められ続けて終わらないと感じていた。
正解に辿り着けない無力さと、解放されない息苦しさが、本当に辛くて、何とか許してもらおうと必死だった。
まるで、幼いときの私が、父から解放されたいと切実に望んでいた時のように…。


自分で考えて行動するのが怖い。
間違えて怒られるのではないかと、びくびくする。

自分で考えて何かするのは、間違えて責められるリスクの高い、怖いこと。
だったら、最初からそんな怖いことは避けて、言われたとおりにすればいい。
そうすれば、うまくいかなくても私のせいじゃない。

自分で考えて行動することは恐ろしいという信念が、私の中に根強くあった。
自由に出来る心地よさよりも恐怖が勝っていた。
だから、考えない、感じないで、必死に言われた通りに、間違わずにやろうというクセがついていた。
自分で責任を持つことを回避して、人のせいにして、可哀相な私の役割を演じていた。

そう気付いた時、心臓と肺と胃腸がぞわりとした。
内臓を不快感が駆け巡り、吐きそうになった。


私は気付けたんだ!!
頭で分かった気がしているだけじゃなく、体感として不快で、もう要らないと心と身体が訴えている。
人のせいにして責任を持たない、被害者の可哀想な私を必要として欲している私は、もうどこにもいない。

今までは私を守ってくれる盾だったと感謝して、不要になった信念は手放そう!

私は、ありのままの私が心地いいと感じる選択をして、幸せでありたい。
誰かの正しさに囚われて、怯えて、決して間違わないように緊張し続けて、上手くできない自分はダメだと否定して、自分で自分を傷つけ続けるのはもうイヤだ!!

自分で考えるのは、怖いことじゃない。
自由で楽しい、自分を活かす素敵なこと。

新しい信念で行動を選択して、新しい私を積み上げていこう♪


私には、自分の人生に責任を持てる充分な力がある✨
そう思える幸せに感謝。

明日も素敵な笑顔でありますように❤️