あの日と今 | せつこのココロ 〜ありのままの自分を受け容れ、私が私の最強の味方になる♪〜

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『ありのままの自分を受け容れて輝きたい✨』

どんな自分も、認め、受け容れ、私自身が私の最強の味方になる!

そんな自分に向き合う日々で得た元気をお届けします♪

"もう頑張りたくない…。"


あの日まで、私は何の為に頑張っていたのだろう?


今、あの時と、そっくりな状況にいる。

今の私は、何を選ぶ?



"今日は、何にもしたくない…。"



掃き出し窓から、朝の眩しい光が射し込むリビングに一人。

夫さんを送り出し、ほっとひと息。


この時間が一番好き。

まだ今日は始まったばかり。

時間はたっぷりある。


"今日はどうしようかなぁ。"


そう思った時に、ふと気付く。

"私、何もしたくないくらい疲れていて、もう頑張りたくないんだ。"


4月からの、また頑張らなければクリア出来ない一年間を思い、憂鬱になっている。



"あ、この状況、あの時とそっくりだ。"


そう思って怖くなる。

私、また、何も出来なくなって、うずくまって動けなくなってしまうのだろうか?




もう、何十年前になるのだろう。

それなのに、こんなにも、あの日のことを鮮明に覚えている。


高校受験が無事に終わり、中学校を卒業したあの春。


学区内で一番偏差値の高い進学校に合格し、その入学試験の成績で、親の転勤先の高校に新入生として編入学するという荒業を成し遂げた。


上位1/3以内の成績で合格するという厳しい条件。

でも、やるしかなかった。



学業の偏差値が高いこと以外、うまくいかない事だらけだった中学三年生の私。


"ここから抜け出して、私の中学時代を誰も知らない新天地でやり直す。"

そんな思いもあったし、私ならやれると思っていた。



"失敗するわけにはいかない。"


受験勉強に打ち込むことで、すべてを忘れようとして、毎日夜遅くまで勉強した。


その甲斐あって無事に合格できたけれど、その頃には、もうエネルギーを使い果たして空っぽだった。



居住地の高校の入学式に参列し、新学期開始とともに転校先で学び始める。


通うことのない高校の入学式のあの日。


どうせ行ったところで、私はそこに通えない。

寂しさと、孤立無援の新しい環境への不安。


"行きたくない…。"

そんな気持ちを押し殺して、どうにか参列したけれど、場違いなところに居る違和感と居心地の悪さしかなかった。



入学式で、新学期前の事前学習が大事だと言われたけれど、もう頑張れるだけの気力は残っていなかった。


"どこにも行けない。誰にも会いたくない。"


出掛ける準備ができてしまうのがイヤで、明日が来るのを拒むかのように、お風呂に入るのも、夜寝るのも出来なくなった。


勉強する気力も当然なくて、引越し当日も、パジャマから着替えて親と一緒に行くのが精一杯。


そんな状態では、高校生活もままならず、勉強も手につかない。

あっという間に落ちこぼれ。


唯一残った勉強が出来るという心の支えが、粉々に砕け散った。

勉強がさっぱり分からない自分を感じるのが辛くて、学校に行けなくなった。


学校に行かないのに、それ以外のことをするなんて、ましてや、その時間を楽しむなんて許されない。


自己嫌悪と自己否定。

心が休まることは、一時も無かった。




あの時の、苦しくて、苦しくて、消えてしまいたいと切望していた自分を思い出すと、切なくて苦しくて、今でも吐きそうになる。


あの時と同じことが、また繰り返されるのかと思うと、立っていられないほど怖くなる。



『今の私は、あの時とは違うんだから、そんなに心配しなくて大丈夫だよ!!』

そう自分を励ます私と、不安で苦しくて堪らない私。



あの時と、何が違うの?



高校入学時の私には、学校と家しかなかった。

転校してきたばかりで、知っている人は家族だけ。

言葉も気質も全く違って、多感な時期の私は、戸惑ってばかりだった。



今は、自分が選んだ家族とともに、心地よく感じられる場所で暮らしている。


地元に友達もできて、長年の友人や、学校の同級生、ヨガ仲間や、施術やヨガ教室に来てくださるお客様も居てくれる。


今までいくつもの仕事もやってきて、いろんな仕事や業界があると知っている。



あの時とは、世界の広さが違う。

選択肢の数も違う。

経験を重ね、出来ることもたくさんある。

応援してくれる人もたくさん居る。


そして、何より一番違うのは、今、私は、私の味方として存在している。



あの時、他の誰よりも、私自身が私を苦しめる存在だった。

自分自身を嫌悪し、否定し、責め続け、楽しむことも寛ぐことも許さなかった。



だけど、今、あの時のように、不安に思う私を弱虫でダメな奴だと嫌悪したりしない。


不安に感じてはいけないと、不安な自分を否定することもない。


楽しむことも寛ぐことも、自分自身にプレゼント出来るようになった。


苦しい自分に寄り添い、その苦しさを認め、受け容れ、慈しむようになった。




新しい生活が苦しくなったら、辞めたっていい。

他にも出来ることはたくさんある。


完璧に出来なくていい。

うまくいかないことがあって、当たり前。


やっぱりダメだと落ち込んでもいい。

それも私の愛しい一部。



そう思ったら、不安がふっと軽くなった。


心配している事が全て起こったとしても、大丈夫じゃん、私♪




あの時も、本当は自分で自分を追い詰めて苦しくしていただけで、他にもたくさんの道があっただろう。


でも、あの時の私は、あれ以外選べなかった。


そして、あの時の私が居るから、今がある。

閉じこもり、ひたすら苦しんだあの時間がここまで歩いてこられた原動力。




高校入学までの私は、ただ親に認められ、愛されることを求めていた。

認められ、愛されることでしか、自分の存在価値を見出だせなかった。


自分の価値を自分で見出だせず、人から与えられることで満たそうとしていたから、どんなに必死に頑張っても満たされず、疲れ果てた。



今の私は、4月からの生活を、自分とこれから私が関わる人達に役立つと思って、私の意志で主体的に選択した。



私の存在理由。

"私の得たことを、必要としてくれる人に届けて役立て、一緒に幸せを大きく育んでいきたい!"


私自身と、私と一緒に居てくれる人の両方を、豊かに幸せにしたいから、やる。


私の喜びのためであって、やらなければならないと思う必要もない。



不安になると、無い方にばかり目がいってしまうけれど、新しいことに出逢うワクワクや喜びも待っているのだ。


力を抜いて、ありのままの私が楽しんでやればいいだけだった。



不安も緊張も、ワクワクも喜びも、私の想い。

気付き、受け容れて、豊かになろう。




揺れ動き、変化しながら、進んでいく。

明日は何を感じるだろう?


何を感じてもいい。

私は、感情豊かな私が大好き✨



自分を好きだと言える幸せに感謝。


明日も素敵な笑顔でありますように❤️