一年前の今日、当時入院していた病院から「(母が)大きな発作(不整脈)を起こした」との連絡があり、病院に駆けつけました。


集中治療室の母は、人工呼吸器を付けられ体中にモニターや点滴が付けられた状態でした。


 ただ、意識はあったので何度か名前を呼ぶとこちらを向いてくれるのですが、その表情は今まで見たことがないような母の姿でした。


私が病院に着いてからも軽い発作は何度か起こり、そのたびに意識を失う(失神状態?)母の姿を見ているのは辛いものがありました。


「会わせたい方がいれば、連絡を取って下さい」と担当のドクターからは言われましたが、遅い時間だったし高齢の親せきや知人にこんな姿を見せるのは母も本意じゃないだろうと判断し、誰にも連絡はしませんでした。


幸いにも、その後お医者様やその他医療スタッフの皆さまの治療やケアの効果があり、10月には無事に退院。


 それから、何度か体調を崩したりもありましたがずっと家で療養を続けています。


 1年前、たったひとりの肉親(父は5年前に他界しており、私には兄弟姉妹がいないので)の生死の境を行き来する姿を目の当たりにして、改めて「生きること」と「死ぬこと」の意味を考えさせられました。


そんな経験をしたからか、最近は特に「生きたくても生きられなかった命」や「生きてきた証が踏みにじられているような命」があまりにも多いように

感じます。



 今日も、当たり前のように母と他愛もないことで口げんかが出来る幸せを

噛みしめながら「あれから1年の日」を過ごしました。