2010年1月17日。
讀賣巨人・阪神タイガーズでエースとして活躍、そして今シーズンからは北海道日本ハムの1軍投手コーチをつとめることになっていた小林繁さんが急逝されました。
プロ野球のキャンプインまで半月足らずのこの時期にコーチ陣の柱である投手コーチを失った北海道日本ハム球団と梨田監督のショックは計り知れないことでしょう。
小林繁氏、と言うとやはり「空白の一日」事件で電撃トレードで阪神に入団し、その後ジャイアンツ戦で連勝をした「悲劇の人」「闘志の人」のイメージが強いと思いますが、私の中で一番印象に残っているのは別の場面なんです。
あれは1976年秋の広島市民球場。
前年、球団史上初の最下位に甘んじた讀賣ジャイアンツは、その汚名を拭うべく、そして長嶋監督の初優勝を果たすために我らが広島東洋カープと対戦していました。
そう、その試合でマウンドに立っていたのが小林投手でした。
最後の打者を打ち取り、優勝達成!
西日の当るマウンドで飛び上がって喜ぶジャイアンツのバッテリーの姿。
前年の仇を取られた形になったカープとしては屈辱になるわけで、私はその様子をテレビで複雑な気持ちで見ていたのを今でも覚えています。
まだ、プロ野球ファンになって日が浅かった私にも「優勝するって大人の人がこんなにはしゃぐ程嬉しいことなんだ」と認識した瞬間だったような気がします。
57歳。
まだまだ志半ばでの急逝ですよね。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
