もうすぐで
私は49歳の誕生日を迎えます。
約半分の人生です。
ここまで生きてくるのが どれほど大変だったか、
分かる半生です。
恥ずかしい事も沢山ありましたが、私は
この世にただ1人で
私は私でしかなくて・・。
今は、自分を愛しています。
TiAmoは切な過ぎる曲でしたが、それは
私が、切な過ぎる人間だったからです。
†。・゜゜・☆。・゜゜・†。・゜゜・ ☆
1967年12月
愛知県一宮市で出生。
母親は20歳の時からホステスをして
父親は酒場で流しをして2人は出逢いました。
2歳年上の姉はユーミンの様な一重の顔で、両親共に似ていなくて
可愛がられた私を
私が10才位の時から虐待する様になりました。
両親が仕事で、ずっと夜はいなくて・・
2人でいたり、親戚の人が代わるがわる泊まりにくる様な家で。。
腕力の強い姉を、大人さえ恐れる様になっていきました。
お金持ちのお嬢様として、沢山の旅行や
美味しい物も沢山、食べさせてもらいました。
でも私が幼稚園児の時、母親がオモチャを買ってあげると行ったデパートで
5千円位の値段を聞いて高いと思い、要らない!と言う様な
とてもしっかりとした子供でした。
それがずっと不思議でしたが、私は
家族3人の教師として生まれついたと分かると納得する事ができました。
家族4人で初めてスケートリンクに行った10才の時
渡辺絵美さんのパネルを見て、私もスケートをやりたいとお願いをしたら叶えてくれて
今の羽生君の様に頑張っていました。
夏は閉館するので名古屋まで合宿に行くと、伊藤みどりちゃんがいて
一度だけ一緒に練習しましたが
姉が私に嫉妬をして、たった1つの夢さえ奪われました。
それから中学に上がると間もなく私は
不良になりました。
スケートの事しか考えていなかったので勉強が出来ず
喉元まで包丁を突き付けられた事もあって、私も姉を殺す事を考えたり
中2の夏休みには家出までしました。
母親と父親の仲も悪くなり、真夜中に父親の大声を聞いた時は怖くなって家を飛び出し
飼ってた犬を抱いたまま真っ暗な道を30分以上歩いて、親戚の家まで行った事もあります。
高校は、ただ家を出たい一心で、全寮制に行きましたが
朝4時半に起きて仕事をして学校・・の繰り返しの
交代制でしたが、辛くて半年で中退。
それから姉は家を出ていたので母と・・
父とは離婚したので2人暮らしをしました。
16才の時、一世風靡セピアのファンになり
東京へ、友達と劇男一世風靡のお芝居を見に行く予定が1人で行く事になって
その帰りの渋谷のデパートで、女優にスカウトされました。
名刺を女性から貰いましたが、虐待されて自分に自信が持てなかったので、連絡はしませんでした。
高校中退してからは一切、正社員では働かず色々なバイトをやりました。
マッチ配りや、ウエイトレスや、
コーラスガールや。。
その後、19才で
用賀にある松任谷正隆さんの音楽学校に入りたくて、面接に行って受かりましたが
学費がなくて父親に初めて頼んだけど駄目だったので諦めました。
その前後だったか、離婚した両親がまた
経営していたスナックで口論をしていた時に
父親がまた大声を出していたから降りて行くと包丁を手にしていたので
「お父さん、やめて!」と叫び
その声を聞いて父は正気に戻ったようでしたが、
母を殺したいほど憎んだ事は、のちの私とも共通する感情となりました。
それから父は、ドラマ青い鳥の様に
南へと向かい・・・
沖縄の那覇のカラオケ大会で優勝したと聞きましたが、私が24才の時に癌で亡くなりました。
最後に父を見たのは
ちょうど30年前になります。
私が成人するとスキー場で出逢った人と初めての恋愛。
千葉と愛知の遠距離恋愛で
しばらく続いた後、
22才で私が上京すると価値観の違いで自然消滅しました。
私は銀座のクラブで、皿洗いのバイトとして上京しましたが
店長さんから、大変だからとホステスを薦められて
嫌々ながらも1ケ月位ホステスをやって
その後、上野にある高級ショークラブLenuで
歌ったり踊ったりするショーガールをやりました。
その時が
バブル全盛期で、一番幸せだったかもしれません。
一気に3人のイケメン男性から言い寄られたりして・・。
でも強面の店長さんが研修の為いなくなると、高級感がなくなっていって
私も嫌になって、辞めてからは池袋や新宿のパブで働いていました。
24才の時、父が亡くなったと知り
私も・・自殺したくなっていきました。
日本一のフィギュアスケートの選手の次は歌手になる事が夢でしたが
あてもなく、
どうすればいいか分からなかったからです。
父は、亡くなる前に私に会いに沖縄から
新宿まで来たそうですが
住所が分からなくて会えなかったそうで・・
私を可愛がって、最後に会いに来てくれた父を思うと
私は切なくなって号泣しました。
ある日の夕方、仮眠をしていた時に
初めての体験でしたが、誰かが体の上に乗っている感じの
非常に重い重圧があり、金縛りに遭いましたが
それはきっと、父だったと思います。
その時
たった一度だけでした。
私は自殺を思いとどまって帰省しましたが
母親のスナックはバブル崩壊で潰れていました。
・・・「今はまだ分かりませんけど」
コメントがあった場合に
つづきを書きます。
読んで下さって
ありがとうございました☆