私は見た目と違って?

なかなか冷血なところがあります

プロ意識にかけた人に対しては特にです

電話のオペレーターや

飲食店の店員

ドライバー…などなど


先日、お姉ちゃんとまると旅行に出た時

保土ヶ谷バイパスを運転していたお姉ちゃんを

後ろにいたトラックが左側から追い越し

トラックの後部がうちの車の左前すれっすれの

状態で割り込んで来ました


助手席にいた私はすごくヒヤッとしたし

というかかなり怖い思いしました

おそらくお姉ちゃんもでしょう


そのトラックはレンタカーで

スマホで調べたらレンタカー会社の連絡先が分かったので

ナンバーと今しがたの状況をお伝えしました


するとすぐに謝罪の返信があり

車の借主の運送会社名を教えてくれて

また、運送会社が私たちに謝罪をしたいと言っているので、連絡先をお伝えしても構わないか

とも聞いてきました


私はメールアドレスだけなら構いませんと答え

レンタカー会社にはお礼を伝えました


程なくして

トラックを借りていた運送会社から

メールが届きました

謝罪をしたいというからアドレスを教えたのに

メールの内容は

会社としては、形としては一応謝罪をしているけれど

ドライバーからの証言として載せられていた言葉は

とても謝罪や反省の弁とは思えない内容でした


時間で物を運ばなくてはいけないドライバーにとっては

おそらく周りの車のほとんどが邪魔に思えるのでしょう

仕事だろうがペーパーだろうが上級国民だろうが

誰かに不快な思いや怖いを思いをさせていい

運転なんてありません


ほんと、社名もここでバラしたいくらいよ

まあ、このブログ見てる人ほんの少しだから

効果ないけどね…


という心の狭い一面も持ちつつ

句の鑑賞に関してはおおらかでいたい

林さんからも常々

鑑賞はおおらかに、好意的に

と教わっている


確かに、×を見つける方が簡単なんです

季重なりだ、切れ字が2つある

自分が習ったことを

アウトプットできる瞬間だから

してやったり!みたいな気分になってしまう

また、自分が作った句に似てたり

すでに見たことのあるような句だと

なかなかすんなりいただくのは難しい


でも、それは自分が通ってきた道でもある

自分では斬新だ、新発見だと思うような表現は

実はとっくに手垢のついたものだったことも

俳句あるあるだ


例えば「浴衣」

以前「浴衣着て」という上五の句を見た時

「浴衣は着るの当たり前なのだから

◯◯浴衣 と名詞化した方がいいのでは?」

なんて言ってみた よく言われてきたから

すると、この句の場合は浴衣を着ているのが父親なので

◯◯浴衣、例えば藍浴衣なんかだと色気が出ちゃって父親らしくなくなるから

この場合は浴衣着てでいいと思う

という、意見も出た


私、恥ずいじゃん…


何度も言われ、指摘されて来たことを

覚えてようやく自分でも気をつけられるようになると

これだ…


とまあ、人間いつまでたっても

勉強に終わりはないというか

ものの追究は果てしなく続くというか…

習ったことの匙加減を

自分で模索してゆくのが大切だ


まあとにかく

俳句はいつも褒められ

いつも点が入り

いつも上手い句評ができる

なんてことはない

少なくとも私はだけど…


昨日は深花句会で

ほとんど点が入らなかったが

なかなか良い句が多かった

俳句には良い句と出会える

そういう喜びもある