先日、お姉ちゃんと

お姉ちゃんのお友達と3人で食事をしていた

彼女は「なーちゃん」

屈託のない実にいい子である


私の句会の話をしている時

「俳句って上手くならなきゃダメなんですか?」

と言われ、胸を突かれたような気持ちになった


俳句に夢破れて立ち直れず

藁にも縋る思いで始めた友禅染は

一応「まだ下手でぇ…」とは言うけれど

始めた当初よりは上達してるし

やってて楽しいのはもちろんだけど

やっぱり上手くなりたいと思っている


お姉ちゃんが新体操をしていた時も

教室やクラブチームには

楽しくて参加してる

さほど上を目指してはいない子・親たちもいたが

私にはその発想や考えがなく

どうして上手くなろうと人一倍努力をしないのか

なぜ上を目指そうという気持ちで取り組まないのか

自分とは違う考え方を持つ人に

理解がなかった

それなら、それだけを売りにしている

別のお教室へ行ってくれないかなと

そうでないと、ここの士気が下がる

と冷たいことも考えていた


自分の句を添削されすぎて

そこに所属するのが嫌になって辞めた

という群馬のある俳人の話を聞いた、はるか昔

直してもらえるのにどうしていやなんだろう?

と思ったが

今、自分の句をあれこれ添削されたら

それが自分でもその方がいいと思える時は別として

そうは思えない時

いや、そこがミソなんだが…

という時

ありがたいと思えるだろうか?


「上手くならなきゃダメなんですか?」


私は、ある程度俳句のルールに則り

それを踏まえた上で上達することが

イコール楽しさだと思ってきた

だから、あまりにもルールを逸脱した句を

私は寛容に受け止めることが難しい


ダジャレみたいなもの

ただの政治批判

それって季語の説明じゃん

理由、理屈

旅先のキャッチコピー

そういう句を

一度は作り手の立場になって

いったん飲み込んであげられる

優しく広い心を持つようにしたい


上達=楽しいではなく

俳句を詠むこと自体を楽しめる

そんな空間づくりを心掛けたい