【ギタン:3】野球解説者の谷沢健一にゆる~く似ている同級生とは? | 西山夕焼け通信 61春

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京都西山の麓に育った子どもたち、
1970年に小学校に入学し、
1979年に中学を卒業した彼らも
すでに60代になった。
このブログはこれからの人生を
西山の夕焼けのごとく
あざやかに彩るために配信していきます 

「ギタン」とは

あの同級生はあの有名人に似ている、

という意味だ。

野球解説者の谷沢健一とわっし(せつ:9組)

が知り合ったのは乙中3年9組だった。

クラス替え後の席順は男子・女子別にして

名簿順、つまり五十音順だ。

「セツ、〇カイ、タニグチ」と前から並ぶ、

その隣に「ミズタニ」がいたような。

わっしが小学校時代からの旧知の

コーイチと話そうとすると

谷沢健一がじゃまだった。

この谷沢、なにかと話しかけてくるし授業中も

うるさい。

でも授業をじゃまするような

うるささではなかった。

どちらかというと

先生受けするうるささであった。

つまりレスポンスがよく授業を乱さない。

頭の回転が速いというか、

頭脳的反射神経に優れていた。

時折、谷沢の一言が3年9組を

ドッとわかせていた。

谷沢と比べると、わっし(せつ:9組)は

今でも愚鈍のように感じる。

それにわっしより

ずっと度胸が据わっている。

 

中3の大晦日の夜、

セツ、谷沢、コーイチ、ジュンイチは

オケラマイリをした帰りに田んぼのなかを通り、

♬麦わら帽子は~、もう消えたぁ~

冬なのに拓郎の『夏休み』を歌いながら

歩き、朝まで向日神社の焚火を囲んで

話をしていた。

 

高校時代。

谷沢とコーイチとガリ版刷りのミニコミ誌をつくった。

谷沢とジュンイチと高3のときバンドを組んだ。

谷沢はボーカルだった。

 

大学時代

違う大学でわっしは雑誌編集者をめざし

谷沢は映画監督をめざしていた。

 

東京時代。

わっしは大阪で編集の仕事を1年ほどして

東京の情報誌出版社へ。

その上京の引っ越しを手伝ってくれたのは

前年からテレビマンをしていた谷沢健一だった。

それから谷沢は

わっしが大阪編集者時代にに仲が良かった

女性フォトグラファーと結婚した。

その女性は谷沢に一目ぼれしたという。

洛西ニュータウンのホテルで行われた

結婚披露宴には乙中の友人も多数来てくれた。

ちょっとした乙中同窓会となった。

京都の劇団で芝居を始めたばかりの

役者がユーミンの

『翳りゆく部屋』を歌った。

この前会ったとき、

谷沢が「ドリってもう大女優やなぁ」と。

キムラ緑子さんだ。

ふたりが自慢したい共通の知人だ。

 

わっし48才で

東京から京都へ戻る。

乙中の同窓会。

日テレ土曜の『ズームインサタデー』の

総合演出(チーフディレクター)になっていた

2013年の乙中同窓会で流す

ムービーと司会で登場することを頼んだ。

その打合せで喧々諤々、

ケンケン諤々というか

ケンカしてるかのように意見が食い違った。

ままあることだ。

 

そして今回の同窓会も

彼に頼んでいる、オープニングと

エンディングのムービー演出を……。

ところが「できるかどうかわからん!」などと

ほざきよるから、

また……。

ままあることだ。

 

高井K

👨

ケンケン

三向卒/1年9組小倉学級、

3年9組臼井学級

 

東京郊外のマンションで夫婦二人暮らし。
一人娘は独立したという。
コロナ以降、ようやくケンケンも
仕事をおさえるようになり、
週末になると釣りに出かけている。
あとは
サッカーはプレミアリーグの
アーセナルを応援して18年。
メジャーリーグ野球は
アスレチックス。
NPBはオリックス。
これらをこよなく愛す。
そして乙中では
なぜか乙中女バレを愛し続け、

帰京するたびに
わっしがアテンドしている。
そして「マン(⒓組)に会いたいなぁ」

とつぶやく。
なんて幸せな男なんだ。

 

 

来週のゲストは

 

これでギタンは

3回目にして、パンダ好きの

徹子を超えた

………でも、答えはバレバレ。