【2013アーカイブス】Hみゆきーテニスに憧れていた卓球少女時代 | 西山夕焼け通信 1970~1979

西山夕焼け通信 1970~1979

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1970年に小学校に入学し、
1979年に中学を卒業した彼らも
すでに60代になった。
これからの人生を
西山の夕焼けのごとく
あざやかに彩るために配信していきます 

 

で、すでに発起人の

寺戸町大牧出身、卓球部のみゆきちゃんの作品。

こーゆー素朴な感じ、

すごくいいと思うのです。

 

中学入学前の夢は、

白いスコートをはいて、広いコートで

大きなラケットを持って白球を追いかけることでした。

 

いざ入学すると、

『エースをねらえ!』の影響でか

100名近いテニス部への入部希望者がいると聞いて

悩んでいると、

Hりえこちゃん(3組)が、

「かよちゃん(5組)、みわ(7組)、

久子(3組)も智ちゃん(6組)も

サワ(11組)も(みんな向陽小6年5組)が卓球部に入るから、

みゆきも入ろう!」と。

「それに卓球やると背が低くなるんやって」

と言ってきてくれたのです。

中学に入ったとき160センチを超えていた私は、

身長の伸びが止まらないのではないかと悩んでいたので、

「卓球=背が低くなる」の言葉に惹かれ、

幼馴染のSいづみちゃん(5組)を誘い、

中学入学前の夢を捨て、

テニスとは真逆の卓球部に入ったのです。

 

1,2年は木船先生の指導のもと、

楽しく部活に打ち込みながら、上手に部活をサボっていました。

みんなで髙島屋の屋上に来ている

太川陽介を見に行ったり……

あっ、これは引退した先輩も来ていて、

こっぴどく叱られました。

 

あと、Nともちゃんと、

向日市民会館で小学生を観客にしての

ピンクレディ・ショーをするための

練習に励んだり……。

これは小学生にとっては

迷惑なショーだったと

いまさらながらですが反省しています。

そうそう卓球のユニフォームがダサいからと、

卓球では絶対に着てはいけないらしい

ストライプのTシャツをみんなで揃えて、

やさしい木船先生を怒らせてしまった事件も

今では懐かしいことです。

 

そんな呑気に過ごした卓球部も

3年になって、

府大会出場の三乙からやってきた

朝倉先生によって

熱血卓球部にガラリ変わりました。

「特訓」というものを初めて受け、

「目標」というものに向かって

日々の練習に打ち込むようになりました。

休むことが、

自分にとって負になると思うようになり、

家でも壁に向けてサーブの練習をしました。

結果、卓球部女子は、団体戦で初の山城大会出場。

私は個人でも山城大会に出場することができたのです。

人間の気持ちは

「環境」で変わるということと、

頑張ることは恥ずかしいことではなく、

楽しいことなんだと教えられた気がします。

 

さて中学入学前の夢ですが、

私はちゃんと叶えましたよ。

30歳で公式テニスを習い始め、

白いスコートもしっかりとはきました。

そして今年で20年目。

さすがに白いスコートは卒業しましたが、

広いコートで、大きなラケットを持ち、

黄色いテニスボールを楽しく元気に追いかけています。

そして、気にしていた身長は

168センチで止まりました(ホッ)。