「もうすぐ二学期。学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、学校を休んで図書館へいらっしゃい。マンガもライトノベルもあるよ。一日いても誰も何も言わないよ。9月から学校へ行くくらいなら死んじゃおうと思ったら、逃げ場所に図書館も思い出してね。」
本を読まなくたっていいよ。
まずは、図書館へ行ってみようよ。
また、本を読むことで、色々な人生を体験出来るし、視野が広がることも確か。
脳はね、本や映画で、体験したことを、自分の体験としてインプットするらしいからね。
どんな本がいいか、司書さんにそうだんしてみるのもいいよね。
それからね、
満洲のハルピンで終戦を迎えた父だが、戦後当時のことは、多くは語らず、無念の思いをどのように抱えて生きてきたのだろうと思う。
終戦の日に、残された短歌から、その思いを推し量り、父を偲んだ。
下記は20首から、一部を抜粋したものです。
「 月凍る 曠野をひたに走りたり
無蓋の馬車に われを託して」
「コーリャンの水粥すすり 飢えに泣く
この児の命 まもらせたまえ」
「チチハルを 脱出の妻と幼児に
この世の別離と 想い乱るる」
「収容所のアンペラの 床に幼らは
なすすべもなく 麻疹に逝きぬ」
敗戦で女・子供だけ集められた収容所で、麻疹が流行り、子供は一人を残し全員なくなったという。
いまも、 屍は、どこに埋められたかもわからないまま・・・
「ハルピンの 地下に眠りし夭折の
吾娘のしとねに 草萌えしめよ」
「手放せば 異国の孤児となる吾娘
背おいて苦難の 旅路の長し」
この時、父の先妻さんとの二人の子のうち、0歳児が亡くなり、3歳の子が奇跡的に一人生き残った・・・
日本へ脱出の道中、中国人が子供を売ってくれと、行く先々でさばりついたという。
連れて帰る方が、死ぬ確率は高かったとか。
それでも、父は、何としても手放さず、苦しい道のりを、結核にかかった妻と一緒に日本を目指したのです。
やっとの思いで帰り、親戚の医者を頼ったが、結核病棟がないと追い返され、最初の奥さんが亡くなった。
家庭を第一にと、人一倍やさしかったのは、大事な家族を亡くしているからなのでしょうね。
「せつせつと 肉親を恋いて帰り来し
祖国ハさむし 不遇の孤児に」
「中国の 孤児のニュースに北満の
里の記憶するどくはしる」
先の戦争で、もっともっと悲惨な体験をされている方も多いことでしょう
多くの屍、不幸の上に今の日本があるということを、忘れないでおきたい。
今、若者らが、少しずつですが関心を持ち、過去とむきあってくれていますが、
多くの人を巻き込み、数の力で政府に影響を与えていく必要を感じます。
戦争を二度と起こさないためには、誰も殺してはいけない、という強い思いが大切ですね。
