戦場写真の果たす役割は大きい。
どんな言葉をつくすより、一枚の写真の雄弁さは計り知れないとも思う。



有名なロバート・キャパのことが、今朝の日経新聞の文化面に掲載されていた。

そこには、名をなすきっかけの「崩れ落ちる兵士」「ノルマンディー上陸作戦」の写真とは打って変わって、1954年の穏やかな日本の情景が、写し出されていた。

その日本滞在後、計画に無かった、インドシナ戦争の取材に赴き、地雷を踏みあっけなく40歳の生涯を閉じられたとある。

記事には、名刺に「戦場写真家(失業中)」と記されていたとあり、
又、長い戦後の日々を生きていた彼が、平和な日本を撮った折の心中に思いをはせ、どこか満たされていなかたのではともある。
過去に撮った写真より、インパクトのあるものを撮りたいと考えるのが写真家の性だとも。。。




さて、かの渡辺陽一氏が、昨日テレビ番組で、「壊れたり、没収されたときの為にカメラを何台も持っていくが、撮った写真を一枚も買ってもらえないこともあり、戦場写真家は自転車操業」と言っていた。
今も、彼は、次の取材費、渡航費の為に、わりきって、テレビに出演されているように思う。

平和の中に長く身を置きながら、戦場に又出ていけるのは、なぜなのか?
戦場に行った兵士らのように、銃を向けるわけではないが、また違う、心的ストレス障害のようなものは起きないのだろうか?

何に、突き動かされ、命を賭け、戦地の真っ只中に身を置けるのか?
その感情に、名誉欲などないと思うし、それならもっと楽な生き方があるのでは?とも思う。


記事を読んでも、彼らを突き動かすものが本当には何なのが、私には想像の域を超える。


渡辺氏が、また戦地に赴かないですむような、平和な世の中になる日を夢見て筆を置く。