大好きな藤田嗣治画伯
私の、プロフィールの絵は彼の絵の中でも、とりわけ好きな一枚で、迷わず使わせて頂いた。
ところで、先ごろパリコレで、彼の絵に着想を得た、ジルサンダーの男性ファッションショウが行われた。
クリエイティブ・ディレクターは、RAF SIMONS。
後ろの壁一面には、藤田の乳白色の裸婦画を配し、髪形も全員彼と同じおかっぱ頭。
シャツやパンツに彼の絵が大きくプリントされたものもあり、また、絵に描かれたような、力強い肉体を誇示するような作品などもあり、モノトーンの洗練された極上の夏服だった。
彼が生きていたら、自ら舞台でモデルを務めたのではないだろうか。
戦争画を描いた責任を戦後追及された藤田嗣治(1886-1968)は1950年、パリに戻り、かつて親しんだモンパルナスの路地裏に住み、アトリエにこもった
55年には、フランスに帰化し、日本国籍を抹消する。それほどに、日本に裏切られた気持だったのだろう。
その6年後、傷を癒やすように、パリ郊外の村、ヴィリエ・ル・バクルで藤田は農家の廃屋を購入して、移り住んだ。
藤田は59年にカトリックの洗礼を受け「レオナール・フジタ」に改名する。
藤田の最後の仕事は、パリの北東の街ランスの教会で描いた壁画だ。
食事の時間も惜しんで毎日12時間、約90日間作業を続けたという。
「すべてを神とフランスに捧(ささ)げる」という藤田。シャンパン会社の援助で建てられた教会は、現在はランス市が管理し一般公開している。
一度、ぜひ訪ねて、本物をこの眼で見て見たいと思う。
一昨年娘とパリに一週間滞在しながら、このことに思いいたらなかったのは、不覚だったわ。
教会が完成した翌々年の68年、藤田は81歳の生涯を閉じた。
聖書物語の壁画に、藤田は自身の姿も描いていた。
「迷路の中に一生を終わる」と晩年に記したそうだが、日本に見捨てられ、自らも日本を捨てた画家の、無念と、望郷の思いは、いかほどだったのでしょうか。