昨日見た「うつくしいもの」の映画で思い出し、父の満州からの引き上げの様子を詠った短歌集「廣野の脱出」より、一部載せてみました。
当時短歌の先生になった、母の影で、夫唱婦随が婦唱夫隋ですねなどと言われていた父ですが、この歌らは、その年の文学選奨にも押されたのです・・・が・・・
悲しい思い出の歌なので、賞はいらないと強くお断りしたのでした。
チチハルで、赤子を一人麻疹で亡くしており、やっとの思いで、つれて帰った妻も結核で亡くなり、お坊ちゃん育ちでやんちゃだった父の性格を根底から変えた悲しい出来事を綴ったものです。
いまだに満州の頃の話はしたがりません・・・
でも、このことがなければ、私はこの世に生を受けていないのですから、複雑な思いがいたします。
狼の遠吠の声はるかなる
凍夜を馬車はひた走りたり
ヤンソウ
月蒼き氷原に焚きし羊草の
這いゆく煙の行方ハ知らず
月凍る廣野をひたに走りたり
無蓋の馬車にわれを託して
チチハルを脱出の妻と幼子に
この世の別離と想い乱るる
コーリャンの水粥すすり飢えに泣く
この児の命まもらせたまえ
収容所のアンペラの床に幼らは
なすすべもなく麻疹に逝きぬ
父の姉の夫が、当時、北安省の次長という政府の高官で、父を大好きだった叔母が寂しいからと、満州に呼び寄せたとか・・・
戦後大臣になる約束で後援会まで出来ていた叔父は、戦後、シベリアにつれていかれ、すぐに、餓死したとか。巨漢でしたから・・・
舞鶴で夫の帰りを待ち続けた叔母といとこは私が5歳まで、我が家へ同居しておりましたが・・・
ついに、遺骨はかえってきませんでした。
それはきれいな叔母で、着物姿で、東京の山の手言葉で話す叔母は、私のあこがれでした。
若い頃、戦前の「令嬢界」という雑誌に、何度か載ったようです。
その、叔母も、いとこも今は亡くなってしまいました。。。
今をときめくある会社の、先代の社長との結婚を断り、見初められて叔父の元へとついだわけで・・・
先の読めぬ、この世の不確かさ、あやうさをつくづく考えさせられます。