題 「千代の春」
えおとめが えおとこに会ひ
えおとこが えおとめに会ひ
千代に栄えん
清水 三渓書
詠み人 比庵
黒紙に朱書きの寿の上に金彩でこの言葉を書き添えて
私の結婚のおりに、
清水三渓氏(清水比庵の弟で、物心両方で兄を助けた)が
お祝いにと、書いて送って下さったものを母が、掛け軸
にして、持たせてくれたのですが、とてもよい言葉でしょう。
正月には、いつも、この軸をかけています。
娘の、結婚の折には、ぜひ、このお軸をもたせてやろうと、
思っております。
なにより、三渓さんご自身のお人柄がすばらしく、また、
人生の運もよく、健康にも恵まれ確か、93歳ごろまでも生
きられたという方ですから。
書に品があり、やさしさにあふれていて、けれんみの全く
ない、心地よい字を書かれる。
売らんが為とか、賞を取る為でないのがなにより書に
表われている。(余談ですが、漠山さんのファンです)
子供の頃、貧しくて、養子に出されたというのに、少しも
そういう事を、恨んでもおられずご自分で、努力され
良い運を引き寄せて、大実業家になられたすばらしい方。
おかしいのは、私が初めてお会いした時
183センチはあろうかという長身の素敵な二十歳ぐらいの
美青年の写真を見せて、誰だと思う?・・・と
うれしそうに、得意げに笑っていらして・・・
(そのとき、本人は70代のころだったと)私があまりに素敵
なので、ステキ!すてき!どんな、俳優よりもカッコいいっ
て(お世辞でなく、ほんとに、すごい美男子さんでしたから)
ていうと、「そうだろう?これ、僕なんだよ!」ってまことに、
うれしそうに、子供のような、笑顔だったのが印象的で、
すっかり、大ファンになってしまいました。(笑)
母を、岡山の恋人・・などと言って下さり、岡山に来ると、
必ず父ともども、国際ホテル(今のホテル オオクラ)の
中華料理を、ごちそうして下さいました。
今は、もう時効でしょうから、ばらしちゃいますと、お茶漬を
奥様に、禁止されていて、(たぶん。胃の悪いせいでしょうが)
高梁の「油や」さんに泊まられた時には必ず、召し上がら
られていたようです。また生まれ故郷の、高梁のダンスの
会の奥様方らと夜中まで、ソシャールダンスを踊り、楽しま
れるのが、岡山に来られる楽しみの一つだったとか。
うれしそうに、話してくださいました。
靴を買いに、ちょとイタリアまで、フランスの貴族の夫人と
ダンスをする為にパリまでと、(全日空の大株主でしたから)
まるで、ご近所にいくような感じで・・・
生き方もおしゃれな、ダンディズムそのものの様な方でした
川合玉堂氏と友達で、少し絵を彼に習われたとか。
でも、基本だけで、書も、画もほどんど独学だったというの
ですから、生まれつきセンスのある方なのでしょうね。
いただいたものや、母が個展で買わせて戴いたものやらで
我が家は、いたるところ三渓さんの額だらけ・・・
娘には
「人生一夢中」と書かれたものと、「千里を思う」を
母の、思いもこめて、持たせました。
氏のように、清らかであれ。一筋の道を一途にがんばれとの
思いをこめて。。
今、娘は、いろいろなことをやっているようですが・・
若いうちは、模索しながら、がんばってみるのも良いかと、。。
それぞれが、「人を地球を元気にする」との、ひとつの想い
からのようですので、それも、一筋の道でしょうから。。。
さて、三渓氏。
生きていらっしゃる間に、素敵な楽しいお話をもっと、もっと
聞いておきたかったなあ・・・と
今日、お軸を掛けながら、三渓さんを偲んでいます。