11月24日(日)朝9時半に栗林公園・花園亭前に参加者12名が集合し、別邸「泛花亭はんかてい」へ。まずは清々しい朝の北湖を眺めながら朝粥定食を頂きます。

各自、自己紹介と栗林公園歴を披露してもらうと、やはり地元の人にとっての栗林公園は動物園や遊具があった時代の印象が強いことが判明。その後、栗林公園がいかに日本三名園に負けていないかという私の偏愛に満ちたプレゼンで期待を高めていざ、ガイドツアーへ!
今回お願いしたのは栗林公園を知り尽くしたカリスマガイド・杉原さん。元バスガイドさんとのことで、道理で立て板に水トークと一同納得でした。

最初に市美術館跡地に復元された北庭の鴨場を見学。鴨猟は高貴なる者の娯楽、今でいうゴルフとのこと(笑)ちなみに全国に5ヶ所ある鴨場の中で、栗林公園が最大の大きさだそうです。

その後、群鴨池の辺りを散策。言われるがままに地面を見ると、なにやら河原にありそうな丸い石がゴロゴロ。そう、それはまさにここ一帯を香東川が流れていた名残で、治水しせき止めたことによって栗林公園となる土地が生まれたのだとか。そして芙蓉沼を抜け紅葉が見事な潺嵈池(せんかんち)へ。ここでも杉原さんは東屋の枕流亭(ちんりゅうてい)へ登るコースを選択し、潺嵈池の紅葉を裏から見下ろす絶景ポイントを教えてくれました。自分で歩いただけではわからないことを教えてもらえるのがガイドツアーの醍醐味ですね。

一行はさらに歩みを進め、商工奨励館隣の讃岐民芸館へ。ここは讃岐にゆかりのある民芸品などが常設で展示されており、初代館長だった和田邦坊の心意気があちこちに感じられる場所となっています。

中でも私が驚いたのは民芸館の中庭が、足立美術館の庭で知られる中根金作によるものという杉原さんの説明です。足立美術館といえば米国の庭園雑誌で15年連続1位に輝く日本庭園で知られる美術館。小さな枯山水の中庭は足立美術館よりも前に作庭されたそうで、「昭和の小堀遠州」と謳われ世界に名だたる作庭師のエッセンスがここ栗林公園で味わえるとは思いもしませんでした。通路に設置された流政之作のガーデンライトといい、商工奨励館2階のジョージ・ナカシマ作の家具といい、栗林公園の中には本当にたくさんの見どころが潜んでいます。

 

南庭に入り、東西に長く伸びる西湖の対岸は「爛柯石屋らんかせきおく」というお殿様が囲碁を打って涼んだ洞窟の入り口。爛柯とは中国の故事で木こりが子供たちの打つ碁のあまりの面白さに見とれていたら、地面に置いた斧の柄が腐っていたという言い伝えからきているそう。一見すると何気ないような場所も興味深いエピソードを織り交ぜて説明してくれる杉原さんに、一同「へえ〜〜」を連発していました(笑)

柱状の岩が立ち並ぶ石壁(赤壁)、お殿様とゲストを喜ばせるためにその昔は手桶で水を流した!という桶樋の滝を通り、一行は掬月亭前へ到着。ここで杉原さんが負傷者対応のため一旦ガイドを離れたため不肖・私が先頭に立たせていただきました。

ジグザグに組まれた木橋・津筏梁(しんばつりょう)を行くと、生駒家時代からの築庭で栗林公園発祥の地といわれる石組・小普陀(しょうふだ)が見えてきます。小普陀の小高い丘を回り込み南湖へ出ると、ここからが散策のクライマックス。栗林公園の「一歩一景」が最も強く感じられるところです。左手に南湖を見ながら楓岸(ふうがん)を反時計周りに歩くと、紅葉に染まった島・楓嶼(ふうしょ)が目に入ってきます。さらに進むと左手の盛り土が高くなり南湖の姿が完全に隠れ、両側の楓のトンネルを満喫させる趣向に。土手が切れて再び現れた南湖には掬月亭の姿はなく、楓嶼、天女嶋(てんにょとう)杜鵑嶼(とけんしょ)と3つの島が次々と姿を表します。一歩一歩進むごとにダイナミックに変化していく南湖の景色はまさに「一歩一景」。計算し尽くされた回遊式庭園の美しさは栗林公園ならではです。

そしていよいよ“ザ・栗林公園”である飛来峰へ。ここではひたすら足元を見つめて登ってもらいます。実際に不揃いな石段を登るので注意が必要なのと、頂上で一気に広がる視界を堪能してもらいたいからです。いざてっぺんに立てば、遠く紫雲山から偃月橋、今、自分が立っている飛来峰まで圧倒的なスケールで南湖一円の風景が迫ってきます。江戸時代、初めて訪れた賓客にこの眺望を披露した時のお殿様のドヤ顔と相手の驚嘆する様が目に浮かぶようです(笑)

でも楽しみはまだ終わりません。もう一つの峰、芙蓉峰にも登り、飛来峰からの眺めとの違いを味わってもらいます。

最後に、戻ってきたガイド・杉原さんも交えてスタート地点の泛花亭で集合写真を撮って解散。複数の晴れ女晴れ男さんのおかげで天気も崩れることなく、秋の栗林公園を満喫していただけたのではないでしょうか。

(文責:小林明子)

 

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