年収3000万の彼氏を捨てて、私が選んだ「地獄の沼」(サスペンス)


​創作短編サスペンス


​「またそれ?」
​タワマンの35階。彼が差し出したカシスオレンジを一口飲み、私は内心でため息をついた。


​年収3000万のベンチャー経営者、直樹と同棲して2年。自由なお金も、ブランドバッグも全部手に入った。


​だけど、今の私を支配しているのは強烈な「退屈」だ。いくら綺麗に飾られても、私は直樹の可愛いペットでしかない。


​私の心が本当に跳ね上がるのは、スマホの画面に「あの人」からの通知が届く瞬間だけ。


​「今夜、空いてる?」
​相手はIT大手の会長、桐生(48歳)。既婚者。
​世間でいう「パパ活」だけど、私の目的はお金じゃない。直樹には逆立ちしても出せない、本物の権力と男の毒。それに触れるスリルだった。


​「今週末、長野の別荘に行こう」
​桐生から誘われたのは、重沢(オモイザワ)の森の奥深くに潜むプライベートヴィラ。


​ガラス張りのリビングから見下ろす深い霧。暖炉の炎。最高級のシャンパン。
​その夜、私は桐生の腕の中で、直樹との退屈な日常が完全に吹き飛ぶほどの官能に酔いしれた。自分は世界で一番特別な女だと、本気で信じていた。


​だけど、私は知らなかったのだ。
これが私の人生を叩き潰す、完璧なトラップだったなんて。


​翌朝。絶妙な香水とコーヒーの香りで目が覚めるはずだった。
​しかし鼻をついたのは、湿った土と冷たい鉄の匂い。


​「起きたか」


​桐生の姿はない。代わりに寝室を囲んでいたのは、黒いスーツを着た見知らぬ男たちだった。一人が無機質な手錠をジャラリと鳴らす。


​「麻薬取締官だ。ガサ入れだ。同行してもらおうか」
​「は? 何言ってるの?」


​ベッドの脇のサイドテーブル。そこには、私が身に覚えのないホワイトパウダーの袋が、不自然なほど堂々と置かれていた。


​「待ってください! 私のじゃありません! 私は何も知らない!」


​シーツを抱きしめたまま叫ぶ私を、男たちは容赦なくベッドから引きずり下ろした。
​手首に冷たい金属が食い込む。カチャリと音が響いた。


​「いいから来い。現行犯だ」


​スマホも、服も、バッグも奪われた。
身ぐるみ剥がされるように連れ出された別荘の玄関前。そこに停まっていた高級セダンの後部座席の窓が、ゆっくりと滑り落ちる。


​乗っていたのは、桐生だった。


​「桐生さん! 助けて! この人たち、警察だって、何かの間違いよね!?」


​私は必死で叫んだ。でも、桐生は一度も私と目を合わせようとしない。


​冷たい横顔のまま、手元のアイスブルーのネクタイを整え、低く呟いた。


​「私の名を騙り、別荘を密売ルートに使っていたとはな。失望したよ」
​「え?」


​頭が真っ白になった。
​密売? 私が? 違う、あなたに呼ばれて、ここに。


​「連れて行け」

私は黒いワゴン車の中に押し込まれた。


​走り去る車のリアウィンドウ越しに、桐生がスマホを耳に当て、誰かと楽しそうに話しているのが見えた。あの余裕に満ちた笑顔。


​すべて理解した。
​私は最初から、彼の「愛人」なんかじゃなかった。


​IT企業の裏で噂されていた、大規模な資金洗浄と薬物ルート。そのすべての罪を擦り付けるための、都合のいい「生贄(いけにえ)」として選ばれただけだったのだ。
​引き返せない沼だとは分かっていた。


視界から遠ざかってていく別荘をぼんやりと見ながら、私は冷たい手錠を強く握りしめた。
​(完)


​「あとがき」


​ありそうで、なさそう。なさそうで、ありそうな創作短編サスペンスです。


​刺激だけを追い続けているといつかはオモイザワ行きかも?
​なあ〜てことはないでしょうが刺激もほどほどに。


​本日の青空は昨日と違って雲ひとつないブルーでした。
​では、また〜


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