大人の修学旅行〜双葉町を巡る〜 | サッカーは片手間に。

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主に福島ユナイテッドについてサッカー未経験者なりに。

 
 
 
・写真たっぷりで長めの記事です。
・祈念館などの写真は許可を取り撮影・掲載しています
・途中、津波やショッキングな写真がありますので見たくない方はブラウザバック推奨です
 
 
Jヴィレッジで福島ユナイテッド最終戦を見終えたところが旅のスタート。
 
 
電車に揺られて30分ほどで宿のある双葉駅に到着です。
 
 
ちなみに放射線量は震災前とほぼ変わらない水準になっています。
 
駅にはこのような看板が。(写真は翌日)
駅は一見普通の田舎の無人駅(駅舎は新しいんですけどね)ですが、この看板が「ここは普通ではないよ」ということを伝えています。
 
 
長くなりますが宿の前に双葉町の現在(2021年12月)の話を少し。
緑;避難指示解除区域(住んでもいい区域)
青;特定復興再生拠点区域(将来的に人が住める区域)
赤;帰還困難区域(勝手な立入禁止
グレー;中間貯蔵施設
黒;第一原子力発電所敷地
 
上記のように今も多くのエリアがで人が住めない状態になっており、また緑のエリアもまだまだ狭いということで現時点で双葉町に住んでいる町民は0となります。
 
ただ町としては来年春以降に帰還の計画を組んでいる状況です。
 
ちなみに双葉駅は上の図でいうと青のエリアで、このあと出てくるホテルや伝承館、請戸小学校は緑のエリアになります。
(請戸小学校は浪江町の緑エリアになる)
 
双葉駅からは宿近くまでシャトルバスがあり、辺りが真っ暗ですが宿にはつけます。
 
 
片道200円の往復券が350円。バスの最終は19時過ぎなのでそれまでなら有効な手段だと思います。
 
 
泊まった宿は「ビジネスホテルARM双葉」。
現在営業している双葉町唯一のホテルです
(写真は翌朝)
 
1泊2食で6000円と普通のビジネスホテルです。
ですが「人の未だ住めない土地にホテルがある」という何とも奇妙な感覚でしたね。
ちなみに設備とかも至って普通のビジネスホテル。中身については特筆するところが無いぐらいほんとに普通のホテルです笑
自分以外のお客さんもスーツ着た方や作業服着た方など日曜の夜ですがそこそこいました。
 
 
翌朝はホテルすぐ近くの「東日本大震災・原子力災害伝承館」へ。

 

注;ショッキングな画像があります。ご了承ください。
 
震災前の双葉郡の姿から発災、収束に向けた動きなどを紹介していました。個人的に気になった展示をいくつか紹介しておきます。
 
タイムラインを追う形での原発事故の紹介。後で語り部さんが言ってましたが、最初の避難は3.11当日の夜。自治体からの説明は「一応避難しましょう」だったそう。(もちろんその当時自治体も本気でそう思って誘導していた)
そこから現在まで戻れない人がいる、という事実を改めて突きつけられます。
 
 
浪江小学校に残る靴。靴の持ち主が亡くなった、というわけではなく最初の避難が上履きのまま行われて、そのまま10年が経ったことがわかります。
 
畜産農家がいなくなることで発生する家畜の餓死や衰弱死。自分の手で葬らないといけないことへの重さは人間ばかりがクローズアップされる中で忘れることができない視点だと強く印象に残りました。
 
放射能を防ぐ為の鉛の壁。
パーテーションが並ぶ黄色い壁がとても不気味でゾワっとしたのが印象的です。
この中で最前線の職員の方が作業に当たったち考えると尊敬の念に駆られます。
 
 
ひしゃげた小型の消防車。伝承館近くで見つかったそのままです。
 
 
 

伝承館3階のテラスからは外が見えます。

遠くには海が見えます。海岸近くは工事が進められています。
 
 
 
テラスの右側(南側)を向くと中間貯蔵施設が。
原発事故災害が「現在進行形の災害」であることを物語っています。
 
 
 
昼は伝承館隣接の双葉町産業交流センターで。

 

ここではレストランやフードコートの他にお土産屋を兼ねており福島土産を買うことができます。
 
昼の漬けサーモン丼と蕎麦セット。
 
 
昼後は同じく双葉町産業交流センターで貸し出してる無料のレンタサイクルに乗り込み、請戸小学校へ。

 

 
工事の音が聞こえる産業交流センター周辺を離れると広がるのは一面の原野と、遠くに見える重機。
 
 
「本当に人はここに住んでいたのだろうか?」
ただただ、純粋な疑問が浮かびます。
 
 
 
自転車で15分ほど。
震災遺構である請戸小学校がポツンと現れます。
 
 
 
震災当時は津波が2階床まできたそう。
ただ、迅速な対応のおかげで在校生の死者はなし。詳細は『請戸小学校物語』などで検索していただければ。
 
小学校の1階は津波で被災した様子の展示。
 
 
 
何もないわけではなく、なにが起こったかの残骸をしっかりと残すことで津波の破壊力を認識させられます。
 
2階では被災した請戸地区の様子の説明があります。
(係員さんもいるので深い話も聞けると思います)
 
 
 
現実と希望の間で板挟みになる悲痛な声と、それでも前に進もうとする人たちの声が残酷なほどにくっきりとしたコントラストを見せます。
 
請戸小学校から双葉町産業交流センターまで戻りレンタサイクルを返却……しようと思いましたがシャトルバスの時間が合わず、双葉駅まで戻って返却。(センター→双葉駅は約20分かな?)
 
道中に目に付いたものをいくつか。
 
相馬野馬追のウォールアート。町内にいくつもありますのでぜひ。
↓書かれたアーティストさんのHP
 
 
 
解体作業中の家屋。この町はまだスタートラインにも立っていないのだと痛感します。
 
 
おそらく除染されていない空き地の放射線量は除染されてる駅と比べて約30倍以上。
除染の重要さを物語ります。
 
 
まとめ
もともと震災のあった場所、特に浜通りを巡りたいと思ってたところタイミングでJヴィレッジに行く機会があり、せっかくなら……と有休をとって回りました。
今回約半日を使って(帰宅に時間かかるので3時には帰途に就きました)双葉町を巡りましたが、
やっぱり「おもしろい!」そして、「また来たい!」と感じました。
理由は正直後ろ向きなのですが「何もないのでまた来たい!」というものです。
人が住んでもよいエリアはあるのですが、町にあるのは産業交流センターと伝承館、それとホテルだけという状況なので本当に「何もない」というのが双葉町の現状であると感じました。
そんな町だからこそ、また来たい!次来た時に何ができてるだろう?と強く感じました。
もちろん、震災遺構を巡ることで10年前のことを改めて触れることが出来ました。
Wikipediaや記事を読むだけではインプットすることができないものを感じることができてここまで来た甲斐があったと思います。
ほんとは富岡町にもよって「廃炉資料館」「とみおかアーカイブミュージアム」にも寄りたかったのですが時間や休館日の関係で回れませんでしたので今度またチャンスを見てできるなら春ごろに夜ノ森の桜と合わせて富岡を巡れればいいなあと思います。
 
それではまた。
 

 

↓おまけ。実際の旅行の様子