「楠 勝平」との再会 | 多度津のチャーリー

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自転車屋さんを始めました。70年続けた親父の店を未経験の僕が継ぎました。

 このGWは一冊の本を読もうと決めていた。1ヶ月ほど前、南條さんに連れて行ってもらった高松の古本屋で見つけた漫画である。大袈裟でなく運命的な再会であった。言葉で言い表せないほどの感激であった。漫画であるから30分も有れば読めるのだがどうしても読み始めるのに1ヶ月かかってしまった。誰にでも、青春時代に出会った決定的な一冊の小説、レコード、映画、写真集などがあると思う。僕の場合、東松照明の写真集「日本」の前にこの漫画を挙げる。この「ガロ、増刊号、楠 勝平集」(S45)は当時毎月買っていた「月刊誌ガロ」の一冊であった。僕の数少ない自慢が「つげ義春」や「白土三平」の名作をリアルタイムで読んだ事である。馬鹿な僕は、何回かの引越しの時、その全てを捨ててしまってのである。勿論、後で後悔したが後の祭りである。それでも、「つげ義春」や「白土三平」は多くの復刻本が出た。しかし、「楠 勝平」は復刻本も見つからない。何年も前に、もう二度と出会う事はないのだろうと、初恋の女性を思う様な気持ちで諦めていた。本来なら、ここでは読んだ感想や、内容の紹介を書くのだろうが、とても今の僕には書けない。無意識で時たま思い出す、心の奥のシミの様な「言葉」や、どうしてもシャッターを切ってしまう「シーン」はこの漫画の、あるセリフやコマであった事に気が付いた。僕の写真は、「楠 勝平」の世界を追体験したくて撮っていたのだ。勿論、天と地以上の別物なのだが。

 「楠 勝平の世界」の話は別の機会に書く事にして、今回、50年前とは違った受け止めをしてしまったフレーズが有った。それは世に言う「差別用語」である。女性や障がい者に対する差別用語が少なからず登場する。50年前の事を思い出すと、軽いテレビのお笑い番組から、名作と言われる映画まで「差別用語」が登場した。僕自身使っていた。楠 勝平が意識的であったかどうかは分からないが、その言葉が作品の大きなテーマ(人間の残酷さ、愚かさ、貧さ、豊さ、等々)を描きだし、読む者の心を鷲掴み揺さぶる。