国際政治学者 舛添要一氏と初めてお目に掛ったのは、霞が関ビルの33階にある東海大学校友会のロビーでした。当時、恩師・白鳥令先生が会長を務めておられる日本政治総合研究所(IPSJ)の事務局長として、舛添先生に運営委員になって頂けませんかとお声掛けしました。舛添さんの携帯電話に電話をすると、日本語のメッセージに続いて、フランス語のメッセージが流れてきました。実は、私の留守電メッセージはこれをまねたものでした。(私はフランス語ができないので、英語ですが・・・)



国際政治学者としての高い見識、ものごしのやわらかなもの言いには本物のインテリジェンスを感じたのが、私の青年期の第一印象でした。



政治学者が実際に政治家になる。このことには色々な目に見えないハードルがあったことと思います。誰よりも世界が見えていて、誰よりも政治とは何かという問題を究極まで突き詰めておられる人物が、実際の政治の世界で何を思い、何を成そうとされてきたのか。きっと様々な、複雑な思いと、葛藤の連続だったのではないでしょうか。



今回、東京都民は、「脱原発」という "One Issue" (ひとつの課題)Politics (政治)を標榜した細川・小泉ペアでもなく、石原都政の継承を標榜し、強い日本をめざす田母神候補でもなく、共産党の人権弁護士でもなく、舛添要一氏を都知事に選びました。この日本国にあって、私はやはり東京都民は流石だと感じました。



単なるポピュリズムではなく。理想主義者でもない。日本の政治がどのような発展過程にあるのか、日本のデモクラシーが何を目指していくべきなのか、哲学してきた舛添氏が、東京都知事として語るワンフレーズ「東京を世界一のまちにする」というのは、とても分かりやすい。



世界を知る国際政治学者としての視点から、「世界一のまち」とはどんなまちなのか。国政を牽引し、都知事に転身する。その都知事がめざすべきもの。それこそが、「東京を世界一のまちにする」という言葉に集約されていると感じます。



私も「草加を日本一のまちにする」、「草加市をだれもが幸せなまちにする」と心の中で念じつつ、世界を体感し、日本を体感し、この国の行く末とデモクラシーの理想を掲げて働いてきた市議23年間の仕事に今も誇りをもって生きている一人です。



日本は簡単な国ではありません。この国のデモクラシーにはまだまだ大きな発展の可能性が潜在しています。若き日にあこがれた国際政治学者 舛添要一氏がどんな東京都政を切り開いていくのか、大いなる関心をもって陰ながら声援を送りたいと思います。



舛添先生、ご当選おめでとうございます。



前参議院比例区候補者

瀬戸健一郎

Kenichiro Seto