今日は連休始まりだってのに出勤でゴールデンウィークもうっすらかすんで
グレーウィークになってしまうような1日だった。が、
帰ってこたつ布団でも片してクリーニングに出そうと思っていた矢先に
ハンバーグみのる君から今日飲み会どこかでないっすかね?という連絡。
そんな日本中の飲み会スケジュール把握してるわけねーだろ!と思いつつ
暇なら俺と飲もうぜ!と自らお誘いをかけた。

阿佐ヶ谷に住むみのる君は遠路はるばる福生まで駆けつけてくれた。
いやー1度福生来てみたかったんですよねというみのる君が体感したのは
駅前のスーパーと俺んちだけだったので福生のFの字も味わえなかったでしょう。

二人でキムチ鍋をつつきつつ、他愛もない話から真剣アラサー喋り場まで幅広く
腹割って、というよりは割腹する勢いでお互いの想いをぶちまけた。

最近どんな音楽聴いた?とか最近どんな映画観た?
っていう当たり前な会話がほとんどだったが、お互いバンドをやっている上で
今の自分が属するシーンに対する憂いも正直に話し合えたと思う。

お互いバンドをやっていて、共通する悩みや、意見が食い違う部分もたくさんあった。
CDのセールス、客の動員など目に見える結果が欲しい俺に対して、
そんなことないんじゃないっすかー?とあっけらかんな感じで答えるみのる君。
ハンバーグはどうやらブッキングで色々と新しい出会いもあるみたいで
そこで楽しみを見つけているみたいだ。
それでもお互い共通しているのは今の状況に辟易しているということ。

自分の身近に素晴らしいバンドはたくさんいるけどそのほとんどは世間的に認められていない。
それだけではない、ひとつの音楽スタイルをブランド化して型にはまってる
バンドを神格化する連中がいる。

どいつもこいつもつまんねーよ


ハンバーグのライブを初めて観た時、頭をパッカーンと割られる衝撃を受けた。
演奏は荒削りだったけれども、もちろんバンドの良さは演奏力だけで決まるものではない。

みのる君はハンバーグの前にスタンズというバンドでドラムを叩いており
バッヂを彷彿させるモッド~パワーポップに日本語を乗せる音楽をやっていた。
スタンズとはいつのまにか知り合いになっていて、俺は次第に彼らの音楽に惹かれていった。
スタンズはスタンズで素晴らしい音楽をやっていてファンだったんだけど
一定のラインを越えないというか、決まったスタイルの中で演奏している感じがあった。

それがハンバーグを観た途端、みのる君への印象がガラリと変わった。

ハンバーグは当初、カルトGSバンドですっていうお約束の自己紹介があったけども
型に収まりきらないエネルギーで自身のステージをぶち壊す勢いがあった。
※物理的にではない。物理的にステージや機材を壊すのはナンセンス中のナンセンス

それ以来、俺はずっとハンバーグのファンなのであります。

常に新しいことをやろうとする姿勢。
限られた環境の中でもがいている事(失礼)に本人以上に美徳を感じる。
本人達はもがいている意識もなく楽しくやっているのかもしれないけど。

そんな年下の活動に憧れを感じてしまった夜なのでした。

原点回帰、とまではいかないにしてもランシドを聴いて若い気持ちを
呼び起こすので精一杯だ。

ああ もしもボックスが存在したらいいのになと思う今日この頃、が数年続いている。



BGM;RANCID / LIFE WON'T WAIT 全曲泣けてしまうのは感傷のせい?
漫画 五十嵐大介著 / SARU(上巻)を読んだ。
$日刊アウトプット


これは伊坂幸太郎の小説「SOSの猿」とのメディアの枠を越えた競作であり、大変興味深い企画。
どちらも猿テーマで作られているようだが、作風はもちろん世界観もお互いまったく違うものに
なっているらしい。
五十嵐大介については「海獣の子供」を千夏から借りたけどまだ読み終わっていない。
話の展開がとても静かで、何かの大きな出来事への伏線と思わせる不思議な描写が多く、
読んでいくうちに「???」となってしまったので現在休読中。

今回の「SARU」に関しては、これまた独特の作風で描かれたスケールのでかい作品だ。

古くから世界各地に現れ、巨大な力で人々から畏れられていた「猿」。
その存在は孫悟空、ハルマンタ、ヘルメスなどの様々な名前で呼ばれていた。
やがてその大きな力はいくつかの分身に別れ、そのうち2体が「猿」のもとに戻らず
一方は精神を、もう一方は肉体を進化させながら地球のどこかに潜んでいた。
そして現代、エクソシストのカンディドとパリの日本人留学生である奈々、
ブータンの僧侶ナワンら主人公たちは、精神を進化させた猿の一部を
体に宿した少女イレーヌと出会い、行動を共にする事になる。
物語の裏では「猿の分身を殺す」という目的の謎の集団がイレーヌを狙い、
主人公たちも巻き込まれていく。
さらに肉体を進化させたもう一方の「猿」も絡んできて…という展開。

ノストラダムスの予言をはじめ、世界各地の神話や伝承を織り交ぜた伝奇もの。
現代の世界情勢を反映している中、いろいろな歴史に基づいた薀蓄で構成されているので
フィクションといえどもかなりリアルに感じられるファンタジーだった。

理解しながら読むのに時間がかかったけど、ハマるとかなり引き込まれる。
下巻が楽しみだ。

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作中、アフガニスタンで主人公たちが出会った男の台詞に考えさせられた。
今、手元に本が無いのでうろ覚えだがこんな感じ↓

人間が活動することで、地球上にはある大きなエネルギーが生まれる。
それが膨れ上がってバランスを崩さないようにするために、昔から
世界のいろいろなところで見えない力が働き、争いが起こる。
そしてそこへ利益目的で乗じる輩が後を絶たないらしい。

それにあたるのが現代ではパレスチナやアフガニスタンなのだそうだ。
昔でいえば、第2次世界大戦中の日本なんかもそうだったのだろう。

戦争の存在は子供の頃から知っていても、実際に体験をしたことが無いので
まったくリアルに感じられない。
今ここで休日出勤中につらつらブログ書いてる平和な現実が当たり前のようになっているが
一方、地球のどこかでは銃や爆弾で殺しあう現実が当たり前のようになっている国もある。

そういった争いの発端、政治的な理由云々のよりもっと深くにある源に
火をつける見えない力の存在というものにものすごく神秘を感じる。

俺は無宗教なので、常日頃から信仰しているものは特にないんだけど
この世には科学で証明できないモノが必ずあると信じている。
それは深海の生物の生態や、ナスカの地上絵のような実体ではなく
もっとスピリチュアリティなもの、例えば魂だとか超能力であったり。

世の中の全ての出来事(結果)には、必ず何かの原因があると思う。
これはどうやら仏教的な考えになるようなのだけれど、そのさらに前段階である
最も初めの原因はいったい何なんだろう?
辿っていけばきっと人間の5感じゃ理解できないものの力が作用しているはずだ。

ジョジョでサバイバーというスタンドが登場したが、これはスタンド自体に
パワーはないが、地表を伝って人間の体に微量な電気を送って、脳からの電気活動を
変化させて感情や肉体をコントロールするという能力を持っている。
作中では一般人にこの能力を使って常人以上のパワーを引き出したり
感情を操作して怒らせて好戦的にしていた。
人間を操作するっていう手順においては科学的な説明がされているけど
この場合、スタンドの自体は非科学的な存在である。

そういえばスタンドって初期は「幽波紋」って書かれてたよなあ。
幽というからには霊的な存在って事だろう。
荒木費呂彦は波紋も呼吸法によるものなど、独自の理論で何でも科学的に
説明していたけれどスタンドに関しては「超能力」という説明だけだった気がする。


もちろんスタンドは架空の能力だけど、このように人間じゃどうしようも
できないくらいの大きな力がこの世の中の色々な出来事に作用していると
考えると、仕事の小さなミスももとを辿ればこれらの不可抗力が原因なんじゃ
ないかって思える。ような気がする。いや、そう思いたい(責任転嫁)

なんか敬虔深い教徒の気持ちが少しわかった気がする…


SARUの話してたつもりが徐々にジョジョの話になってしまった。
先日ライムスター宇多丸が、アイドルソングにはフルーツをテーマにした
曲が多いという話をしていた。なんでフルーツをテーマにした曲が多いのかというと
性のメタファーを絡めた歌詞を作りやすいからだそうだ。

中原めいこの「君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね」のように語感で
構成されているライトな暗喩もあれば、中には暗喩どころかただの下ネタに
なってしまっている曲もある。
その最たる例がうしろゆびさされ組の「バナナの涙」らしい。

純情路線まっしぐらの俺としては、昔から聴いているこの曲の本当の意味を
理解していなかった。バナナというのは頬を伝う涙の形のことを指しているもんだと
思い込んでいた。我ながらずいぶん洒落た読解力をもっているもんだと感心していたが
本当の意味はそんなもんじゃなかった。

まず、バナナ。
このバナナが指す性の暗喩といえばもちろんアレしかない。
別の食べ物で例えればソーセージ。人によってはポークビッツと呼ぶ場合もある。
そして涙はバナナの形をしているのではなく、バナナから溢れ出ている液体を
指していることが歌詞から読み取れる。

まだお互いの体の味もまるっきりわかっちゃいない幼い男女が
絶好のシチュエーションに置かれたとき、やりたくて悶々としている男を
女がカマトトぶってんのか、弄んでいるのかわからないが、おあずけプレイで
完全に手玉に取っている。

男は釘が打てるくらいカッチカチになったバナナの先端に
行き場のない涙をただただ浮かべるばかりなのである。
そんな思いが下記の3ブロック目、「くるり 背中向けて~)の
あたりから強く感じられる。



バナナの涙

作詞:秋元康/作曲:後藤次利/編曲:後藤次利/
歌:うしろゆびさされ組

バナナんボー バナナんボー
男の子の気持ち HA・TE・NA
わからないの
男の子の気持ち HA・TE・NA
不思議ね 変なの!

真赤な夕陽が落ちたら 不機嫌ね
せっかく2人で渚に来たのに
さっきは あんなにはしゃいでいたけど
仕方がないわね あまのじゃくなの

くるり
背中 向けて 少年のままで
”こんな風に友達でいるのは
僕は嫌だよ!”

ア然!
バナナの涙
瞳にキラリと光る
バナナの涙
責めてるのね

女の子の気持ち BI・MYO・O
どうしましょう
女の子の気持ち BI・MYO・O
あせるわ マイッタ!

砂浜 しゃがんだ姿勢で 拗ねたまま
その理由(わけ) 大きく指で書いてる
恋人みたいにイチャイチャもいいけど
恋って そんなに甘くないのよ

馬鹿ね
こっち向いて髪をかきあげて
とっておきのキスをしてあげるわ
世話がやけるね

うっふふ!
バナナの涙
素直でいれたらいいね
バナナの涙
果実のまま
青いままで

男の子の気持ち HA・TE・NA
悩んじゃうわ
男の子の気持ち HA・TE・NA
お手上げ! ごめんね

バナナんボー バナナんボー



直接的に「カウパー」といわれるよりも「バナナの涙」のように、
歪曲した表現をされたほうが恥ずかしさやグロさが数倍増してしまうのは何故だろうか。
ただの性的な言葉を並べただけの歌詞は検閲にひっかかってリリースできないだろうが
こういった一般的な言葉で性のメタファーを織り交ぜていけば前者よりも
よっぽどエロくて刺激的な歌詞がリリースできるんじゃないか。

表現の自由といえども、言葉は規制されてしまう。
しかしそこから読み取れるイマジネーションの規制はまだまだゆるいはずだ。
いやー 日本語って本当にいいもんですね。


そしてテレ東で放送されていたTV番組「おねだり!!マスカット」内で
今をときめくAV女優たちによって結成されたグループ:恵比寿マスカッツに
「バナナ・マンゴー・ハイスクール」という曲がある。
これはもうひどい

朝からなぜか食べたくなっちゃう朝一バナナ
そっとやさしく齧って食べて私のマンゴー・・・

往年のたけし(aka劇団ひとり)を思い出すようなもはや直球メタファー


タイトルの「ハイスクール」はぜんぜんかかってないので
たぶん語感かな?「バナナ・マンゴーに・入るスクール」・・・みたいな


これ以上書くと表現が規制されそうなのでこの辺で。