こどもの日、ですね〜
遠くに沢山の鯉のぼりが写っています。
先日、個別レッスンをさせていただいている生徒さんのお父様から、
嬉しい成果報告をいただきました。
大変嬉しく思ったと共に、ご本人の頑張りとご家族のサポートに心から尊敬の気持ちを持ちました。
レッスンをしている時からその理解度と真剣な気持ちに私も助けられているところがあり、
またそれは自身が学外のクラブに陸上を習いに行っていた中学時代と重なる部分があり、
お力になりたいといつも思っています。
ここからは私の中学生の頃の話になります。
小学6年生の時に、学校から出た市の陸上競技大会で100m1位になり、
その後通っていた中学校に陸上競技部が無かった事がきっかけで、母が県の陸上競技場で開催されている陸上クラブを見つけてきてくれました。
ダンスが好きだった私は、ダンスを習いたい気持ちがありましたが、まだまだ地方にダンス教室が少なかった頃です。ダンスを習うと言うのはそう簡単にはいかず。
更に陸上競技を始めるにあたって幸運なことが起き。
この陸上クラブはそれまで小学生しか対象でなかったはずが、
小学生の頃からそのクラブに通っていた同級生の子達が中学でも通いたいと言ってくれたおかげで、
中学生の枠が出来ていたのです。
私は一度見学に行ったのちに、そちらの陸上クラブにお世話になることになりました。
こうして私の陸上競技人生が始まりました。
中学校に話をして、中体連などには学校の名前で出ることが出来ました。
九州大会など学校単位の大会の遠征には、中学の先生が引率をしてくれましたが、
その時にほぼ私のコーチとなってくれていたのが母でした。
勿論、クラブチームの監督やコーチに感謝があり、学校のサポートにも感謝をしていますが、
そこを話し始めるとまたながーくなってしまうので、笑
今回は生徒さんに重ねた私と母の話のみにします。
母は、私が痛いところがあると治療院を探してくれたり、テーピングについてまとめた冊子を作ってくれたり、徹底的にサポートしつつ私自身が自分で考え実践する道筋を作ってくれました。
大会などの時につきっきりでいてくれるので、周りの学校の子達からすると、ステージママ的に見えていたようなところもありました。
私からすると、部活が無いんだから当たり前でしょって感じで、ステージママ的に揶揄してくる周りを冷めた目で見ていました。
親子二人三脚で、陸上競技経験者でも無い母が一生懸命にいろんなことを調べてくれて、駆け抜けていった3年間でした。
怪我も多く、なんとなく反抗的な態度も多く、
あまり元気に挨拶するような子でもない爽やかさ0の子だったので、周りの大人からは扱いにくかったかと思います。
陸上関係者の大人からは天狗になるなと怒られたり、思春期で女の子は太りやすい時期なのにそのことを大人たちに笑われたり、調子に乗ってるからだと言われたり。
そんな中、一緒に悲しみ怒ってくれたのも母でした。
中3の中体連、九州大会に100mと200mで出場した私は、100mで入賞をすることが出来たのですが、
その前の年、2年生の時は怪我で九州大会に出ることも出来なかったこともあり、
表彰式で母は泣いてくれていたそうです。
私は気付けていなかったのですが、引率をしてくれた体育の先生が後から教えてくれました。
私はその時の何とも言えない気持ちを感覚的に今も覚えていて、
悔しいことを言われてきた中で、戦っていたのは自分だけじゃなかったんだと心から思いました。
共に歩んでくれる、精神的な支えがあると言う経験は、今に至るまでとても大きなものになっています。
共に歩む気持ちと言うのは私の場合は母でしたが、血縁者でなくとも、出来る限りあの時の母のような存在で自分自身もありたいなといつも感じています。
少なくとも目の前で話をしている時、レッスンをしている時は、レッスンさせてもらっている方の味方でいたいと思うきっかけになっていると思います。
目の前にいる生徒さんを信じる気持ちは、何度も不思議な奇跡を起こしてくれました。
そんな経験をふと改めて振り返らせてくれる出会いに感謝です。
さてさて、ゴールデンウィークもあと少し。
皆様お身体に気をつけて、楽しく日々を過ごしましょう。