自分を見つめ直す旅に出ている
そんな毎日を過ごしてる気がするこの頃。
2001年、ヤングジャンプ制服コレクションデビュー。
そこから数年突っ走り、グラビアアイドルになった。
1年に1000着くらい水着を着るお仕事。
当時、グラビアアイドルっていうものは私には未知だったけど、入ってみると華々しい世界だった。
二十歳に近づくにつれて色々考えることももちろんあったけれど、
とにかく我武者羅だったな。
だけど、
私って何も持ってないんだなって気がついたときがあったのだ。
それが、ミュージカル、レミゼラブルを観た時。
二十歳の時だった。
あのミュージカルが、とにかくあの時の私にはとてつもない衝撃的だった。
こんな世界があるんだ!って。
感情とかなくて、私自身ただの箱で
人と話すことが
こわかった時期で。
自分が何者なのかわからなかったし、人から判断されることや評価にに怯えていたり。
リアルにどうやって笑ってたのか忘れたり、言葉を失ってた時期に
ミュージカルに、引き寄せられるようにNew Yorkに行って、
ある意味 日本語を使わなくて良い生活だったから、英語がすーーって入ってきたのかもしれない。
New York初日に、英語が話せないので、どこのお店に入ることもできなくて、
思い切ってダンキンドーナッツに入ったけど頼み方がわからなくてそのまま何も買わずに出て、
その後もスターバックスに入れなくてウロウロして
お腹すいたーーどうしよう
って地面に座って1人で泣いてた。笑
でも、そこで思ったの。
あたし、地面に座って泣いてるーって。
それで、感動したんだよね。笑
これ、日本にいたら出来ないだろうなって。
当時アイドルだったわけで、
どんな行動にも言動にも極力注意を払っていたし、
ちゃんとしなきゃ、ちゃんとしなきゃ!良い子でいなきゃ!って。
しかも、
芸能界にいるとかいないとか、そんなことはニューヨーカーにはどうでもいい話で
向こうでは、私はただの日本人の一人の子供だった。
それが新鮮だった。
私、生きてるんだって思った!
喜んで良いんだ、泣いていいんだ、怒っていいんだ、わからなくていいんだ、上手くできなくても誰も責めないんだ。
沢山のひとに出会って
私がうまれた。
New Yorkでは日本人同士でも
英語で普通に会話しますよ。
New Yorkから日本に帰ってきた日本人の友人とも、英語で。
それが、
なんで日本人なのに英語なのよ?ってたまに言われるけど、
どうしてダメなのかな?変?
日本人だからもちろん日本語もこれからもっともっとお勉強しますけどね。
New Yorkに住んだからこそ
日本の素晴らしさにも
あらためて気がつけたりもしました。
今年デビュー15周年です。
これまで山あり谷あり谷あり崖あり海底あり雲の上あり⇦気分的にいま最後のここ。
全て意味があることなんだなぁって。
これまで支えてくれた家族、友達、スタッフのみなさん、出会えた全ての皆さんに
ありがとうございます。
15年目も頑張ります![](https://emoji.ameba.jp/img/user/1m/1mikansei20-s/4512998.gif)
![](https://emoji.ameba.jp/img/user/1m/1mikansei20-s/4512998.gif)
ポジティブなpowerーーーー掴むの‼︎
ぐいっ‼︎
これからも宜しくお願いします
ぺこりん。