皆々様へ
明けましておめでとうございます






あっという間に2015年
なりましたね~。









2015年・第1回目のブログなので、
今月末に本番を控えているミュージカル氷刀火伝のこと中心
気合い入れて書きたいと思います。
多少長くなりますがおつきあいくださいませ。









Twitterのほうは沢山更新していたのですが
Blogはここからが2015年のスタート




今年もよろしくお願いいたします













カウントダウンは東京の自宅で過ごし、、
元旦は朝一で実家のある宮城県仙台市へ帰りました。


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その後、間髪入れず。。。










ミュージカル『氷刀火伝~カムイレラⅡ~』
の舞台となっている、
岩手県奥州市・人首町へ行ってきました












このミュージカル『氷刀火伝』は、『ひとかでん』と読みます。
読み方や、意味を聞かれる事が多かったので
ここで少しひとつ補足



前に少し私もこのBlogで記事を書きましたが、



東北の武勇・阿弖流為(あてるい)と、副将の母礼(もれ)
このふたりが、
時は平安時代に
征夷大将軍に任命された坂上田村麻呂率いる軍勢に討たれた
という史実に基づいて、



作演出家の藤倉梓さんにより書かれた作品です。









なぜ氷刀火伝というタイトルかって?
それは、
田村麻呂により討たれた阿弖流為の息子(または甥っ子)と言われている
人首丸という、当時14歳(15、16歳と言われる説もある)
の美少年がいたのであります。




その男の子・人首丸(ひとかべまる)
を、ニックネーム的に、ヒトカと呼ぶ事にして
漢字は藤倉さんのインスピレーションにて氷刀火とされたそうです。




その氷刀火少年の伝説のお話なので、
氷刀火伝~カムイレラⅡ~』というタイトルになっているわけです(よね?)











カムイレラというのは、
北海道蝦夷地開拓のお話でして、ミュージカル座さんで
同じく藤倉梓さんが2012年に作られたミュージカルです。
2013年に再演もされている作品です




氷刀火伝とカムイレラは、直接お話が繫がっているというよりも
歴史的に、平安時代に東北で戦った阿弖流為や母礼たちが居たから
その後の人首丸に続いて行き
いずれ1000年のときを経て
蝦夷地に繫がって行くというわけで・・・・・




カムイレラの方が1800年代のことなので
氷刀火伝の800年代のほうが時代をだ~~いぶ遡っているのである意味
Part1 的な感じな。




なのでカムイレラを知らない方でも
大丈夫です
あ。。。前の全く同じ事を書いている事に気がついたので
この辺で新しい事書かなきゃね











そもそも
平安時代にここ宮城県北部から岩手県までが
朝廷側から目を付けられるようになったのは、
東北は地下資源が豊富だったためです。
特に朝廷一番欲しかったのは
金(きん)でしょう、




東北の蝦夷は温厚で、仲間は仲良く暮らしていたそうです。
綺麗な水、山菜の採れる山、川魚に森林から材木も多いに取れる。
そして金が採掘されていたのですが
蝦夷たちはその貴重さをあまりよく知らずに生活していたそうです。




宮城県石巻市の牡鹿半島の真下に
金華山という島があります。
この島はシカさんが有名で沢山います




私も瀬戸家旅行で幼少期に何度か行った事がありますが、
『金華山』の名前の由来を考えた事がありませんでした。
そりゃそうだ、多分2歳とか4歳だったもん

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イメージ笑(瀬戸 早妃2歳くらい?)










今から1260年前、聖武天皇の時代(749年)に
国守百済王敬福が、朝廷に黄金を献上したそうです。
大仏を建てるために金を必要としていた天皇は多いに喜ばれ
年号を天平勝宝と改めました。
この史実は、日本で初めての産金として有名なことなのだそうです・・・





このことで、
後に金を発掘できる東北地方が目を付けられ
阿弖流為や母礼vs朝廷軍 坂上田村麻呂
の悲劇が生まれるわけですね。。








ちなみにこの金華山に、
黄金山神社っていう神社があって
3年間続けて参拝すると一生お金に困らないって
言い伝えがあるんだって












あと、



瀬戸家でよくむか~し旅行に行っていた
鬼首(おにこうべ)という土地が宮城県北西部にあるんですね。
鬼首スキー場や、鬼首温泉が有名で、
何度も行った事があります。









私がまだ小学校低学年のころか、むしろ
もっともっと前の事なので。
おにこうべっていう響きだけで、その由来とか考えた事もなかったんですけど、

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イメージ(三兄弟の末っ子でした、写真右)













ここにきてピ~~~ンときました。









田村麻呂が東征の際に、この地区の首領『大武丸』
(大武丸については、いろんな説があり私にはどれが史実なのかは分かりませんが調べれば調べるほど
大武丸や大竹丸や大岳丸などさまざまな漢字で献文上で出現して、
此処で云われる『大武丸』が誰なのかははっきりわかりませんすみません)

を、山中で征伐しこの地でその首をはねた。



当時、大武丸を『鬼』と呼んでいたので
地名を『鬼切部』と称していたのが、いつの頃からか
『鬼首』(おにこうべ)と云うようになったとのことでした。
















ここまでは
余談。。。。。。。


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さて今回
人首丸が実際に立て籠っていた大森山がある
奥州市江刺区米里(かつては人首村。今では人首町と呼ばれている)
へ、行ってきました~~






簡単に書いていますが、
雪がすごかったのでなかなか大変でした







岩手県一関に住んでいる叔母が居るので、
まずはそのお家へご挨拶に行き、



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大晦日の夜に積もった
雪かきをちょこっとお手伝いして
上の写真(遊んでるようにしか見えないけど)






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私、両親、兄貴(東京から駆つけててくれた)、叔母
の、5人で雪道をひたすら北上。







道中、えさし藤原の里
の標識があったり
だんだんと人首丸の歴史ある土地へ近付いて行っているワクワク感


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そして偶然に
菊田一夫先生の記念館を発見したり。。



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菊田先生は、
戦時中にこの岩手県江刺市(現・奥州市)に疎開されていたとのことで
記念館が建てられたようです
知りませんでしたので、とても勉強になりました。




菊田一夫先生は、
『放浪記』や『鐘の鳴る丘』『風と共に去りぬ』『イヨマンテの夜』数々の名作を世に送り出し、
ミュージカルマイフェアレディの上演権を獲得し
日本で初めてブロードウェイミュージカルを舞台にあげた方。。。

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↑幸運にも私も出演させて頂いた
昨年5月にフジテレビで放送されたスペシャルドラマ
『森光子を生きた女』では石坂浩二さんが菊田先生役をされていましたね。

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元旦でOpenしてなかったので中には入れませんでしたが
いつか是非また訪れてみたい場所です








さていよいよ
だんだんと。。人首という文字が見えてくる地域に入ってきました

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これは1924年に宮沢賢治さんが
この人首町を訪れて書かれた詩です
人首町の大自然をそのままストレートに表現したように見える。。







さてやって来ました

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人首町です
人首丸の出身地だと勘違いされる事も
多いようですが、ここは人首丸が逃げ逃れてやってきた土地だということです
(1200年前の事ですのでこの人首丸のことは諸説あります)






このバス停がある道路も
細い一本道です
周りは民家で、元旦ということもありほとんど誰も道を歩いていませんでした。





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まっすぐ行ってみると
雪かきされていた町民の方発見
聞き込み開始。。。







人首丸が、坂上田村麻呂の女婿である田原阿波兼光に討たれ
その人首丸の首を洗ったとされる、
人首川がある。







その川の場所が分からなかったのですが、
聞いてみるとすぐ近くでした。
早速行ってみました

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ここが人首川。。。。






川の向こうに見えるのが、人首丸の名前をそのまま残している

奥州市立人首小学校

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I really came here....





本当に来てしまいました。
稽古中から、藤倉さんに、『行ってみたいです
』って言っていたのですが
 I want to だけではなく I really did!! 笑






ふう


長くなり一つのBlogにおさまらない容量

なので
次へ続きます。。。。





to be continued...