本日は大晦日
2014年の締めくくりですね。






なんと、
先日投稿したBlog記事を
間違って指一本で消してしまい、
あまりのショックで立ち直れないかと思いましたが





心お優しい方のアドバイスにより
(心よりの感謝を申し上げます)
記事が復元出来そうなので
投稿してみます






以下、12月28日のBlogの復元です

















今日は少しまじめな私の脳内を
皆さんに少し見せてしまおうかなあ。。。なんて
おつきあい下さい。






今、ミュージカル氷刀火伝
北国・胆沢(岩手県奥州市)を中心として
活躍した阿弖流為母礼という人物の
歴史についていろいろ調べてみたりしながらお稽古しているんだけど。。








ご存知の方も居るかと思いますが
私は宮城県仙台市の出身です。
生まれも育ちも仙台です。









親戚一同が
東北の出身で、特に岩手県には母の妹家族が
住んでいるので思い出もたくさんあります。







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家族でげいび渓舟下りしたり。。




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おいしい空気と
大自然に囲まれた、のどかで穏やかな場所。。




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ここで写真が沢山撮りたくて
奮発してRICOHのカメラを買ったんだよね





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水面の木々がとっても深く見えて

綺麗だったのをおぼえています。





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この上の写真が何の場だったのか
ちょっと記憶が曖昧ですが、
こんなところを家族でお散歩しました。






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そしてこれ





今回のミュージカル氷刀火伝で登場するキーパーソン
坂上田村麻呂が、
征夷の記念に毘沙門天を祀った岩窟。。。
達谷窟毘沙門堂
たっこくのいわばびしゃもんどう
と読みます。




つまり。。。。。。。。







今回のミュージカルの主役で
歴史上から消えた実在した少年ヒトカ(本名・人首丸)
のお父さんである、
北国の英雄の阿弖流為
やはり史上では(ここの寺伝でも)






悪路王と呼ばれ
人々を苦しめ、その悪行は京にまで及んだとされていて
そこで桓武天皇は
坂上田村麻呂を征夷大将軍に任じて征伐を命じたということです。






出陣にあたり田村麻呂は
京都の清水寺で戦勝祈願をしたそうです。
そして見事に”悪路王”を退治したので
『この戦勝は仏様のおかげだ』と
清水寺を模したお寺を建てて108体の毘沙門天を祀ったことが
この達谷窟毘沙門堂の始まりだといわれているそうです。






阿弖流為。。。が。
悪路王か~。。。。。。??






後に、田村麻呂が
阿弖流為たちの助命祈願を政府にしたというのは
有名な話なのに。。
田村麻呂はどんな気持ちで征夷大将軍になって
北国を制して行ったのでしょう







現代でいっても、国と国での戦いは
おさまらないし
その国々で教わる歴史や教育が違うように、、






現代からさかのぼること約1200年前当時のことも
様々な文献や資料が残っているので
非常に興味深いですね。







富や財産を築くためなら戦をしろと
そういうことを念頭に生きた人たちが居て
疑問を持ちながらも辛い任務を任され決行した人が居て
最終的には人々を傷つけ殺し合い。。。。。






今は日本という一つの国になっているけど
こうなるまでに一体どれだけの戦があったのだろう







ちなみにこれは

岩手県平泉町にあります。
懸崖造りの毘沙門堂は、火災のために幾度となく
建て直されてきたそうです。







田村麻呂が阿弖流為や母礼を平安京に連れて行き
助命懇願もむなしく
二人が最終的には処刑されてしまうのですが、







どんな方法で処刑されたのだろうかと

調べていたら。。
もちろんPCの作業だけの下調べ的なことなんで
真相なのかは判りませんが(1200年前のことですし)






3日間地面から首だけ出された状態で埋められて
その後・・鋸(のこぎり)引きにあったみたいなことが
書かれていた記事をみて、
なんとも言葉に現せない感情になりました。。
残酷すぎませんか?







斬首というのも、つまり首を斬るということで
処刑する人がうまくやれないと
即死出来ずに
命絶えるまで何度も斬りつけられてとても苦しみ死んでいくという事も
多々あったんでしょうね、、、







その、即死出来なかった時の
残酷さといったらはかり知れないですが、
即死させるために(苦しめずに処刑する為)
後にギロチンが開発されたみたいですね。
知らなかった。。








ギロチンってなんて残酷な道具なのだろうとだけ
思っていましたが、元々は
死刑囚を苦しませないで処刑・斬首してあげるのいう
気持ちで造られたようです。
う~ん、複雑な・・・・・・・







すみません話少し
それちゃいましたね








岩手県平泉町に、去年2013年に閉館してしまったのですが
夢館という蝋人形館があり、
ここも瀬戸家で訪れてました。







ここは奥州藤原歴史物語
を解りやすく、等身大の蝋人形107体とともに
音響、証明などを駆使して見せてくれていました。







阿弖流為たちの800年からは
さらに役200年~300年くらい後の事ですが
奥州藤原氏の起こりから滅亡までの役100年間が。。







斬首ってこんなかんじだったのですね

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人間の毛の一本一本、毛穴の一つ一つまで
細かく再現されてて
体毛は植毛、眼球には義眼。
そして歯には義歯を使用していて!!
お着物は東映京都撮影所衣装部さんによる特注品だそうで、
舞台設計は俳優座劇場が手がけたというから






その本格さに驚きでございました。



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これは
身体中に矢を受けながらも、義経を守ろうとする
弁慶の立往生。。。。






と、ちょっと話は
ミュージカルの時代背景である
平安時代からそれて進んでしまいましたが







ここ岩手県の、そして東北の歴史なのです、
それがその後の
カムイレラ(北海道・蝦夷)のお話
繫がって行くということなので。。。。。








今回、タイトルが
氷刀火伝~カムイレラⅡ~
となっていますが、決してカムイレラをみてないと分からないお話
ではないんです、
むしろこの氷刀火少年たちのお話の方が
先なので。。。。。。

観に来られる方、ご安心くださいね







私がこのときの旅行の道中
山がこんな事になってしまっていた場所がありました。
震災の前の事なのですが
地震などの自然災害でなのか分かりませんが



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写真左に移っているのは岩手在住の叔父です



どんな武器をも駆使しても
自然の前では立ち尽くすしかないときがある
だけれども私たちは自然に生かされている。。。。。






東北出身の私としては
東日本大震災はやはり大きな大きな傷で
まだまだ続いている事なので。。




これから年末は仙台に帰る予定ですが、
実家は震災の影響でヒビがあったりしているため風が入ってくるのか
とても寒いです。
お風呂も浴槽とか割れてしまっているので
銭湯的な施設に行っているし。
そこに両親二人だけで住んでいるからいつも心配です・・





仙台はまあ言うてもそこまで遠くないですが、
何かがあっても、私もお仕事があったら
すぐには会いに行けないしね







頑張りましょう!とかそういう形だけとか言葉だけではなく、、
この氷刀火伝という空間をお借りして
皆さんと一緒に感じられる場所になれたらいいな。。








震災前の
宮城県山元町のおばあちゃんち


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ここの畑で作ってくれていた野菜を使った
おばあちゃんの手料理



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震災は、とてもとても尊いものを
沢山奪って行きました



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震災前の、大好きなおばあちゃん

いつも私のそばで見守っててくれる。





おばあちゃんありがとう






長くなってしまいましたが、
今年中にこれを書きたかったの。
長文読んでくださってありがとうございます。







最後に。。。。

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<松島や ああ松島や 松島や>

これ松尾芭蕉の俳句だと間違われている場所でもよく知られる。。
↑なんちゅう説明

奥の細道で松尾芭蕉が訪れた、松島クルーズからの~






鳥~~~~~~



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さて
鳥さん、、、、今回のミュージカル氷刀火伝で
大事な存在なんです。
と、私なりにとらえております、、、、





大自然。。自由の象徴。。明日への希望。。翼。。





この大自然をIMAホールで
一緒に感じられるように




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ちょっと生半可な気持ちでは
絶対にやりたくないのですね。。。 





氷刀火と琉璃の歌にも出てくる、、、
鳥さんたちとともにお稽古頑張ります





琉璃でした。