しあわせは、いつも自分の心が決める…






とは、かの相田みつを氏が云った言葉。





彼に対する好き・嫌いはさて置き、
この言葉、考えれば考えるほど、奥深い…







フツーに仕事が毎日ある人にとっては、
忙しい日々が常に続けば、仕事がなく青ざめた顔で毎日を凌いでいる人の気持ちは分からない。




それが高収入の仕事であっても、
業界の相場に照らし合わせて割に合わないと感ずれば、何故か一気にモチベーションが沈む。




端から見れば、十分な報酬であっても。





毎日のように旨いものを食っていれば、
そもそも旨いモノ、という概念さえ無くなる。




旨いモノ、と云っても人それぞれ。


実際に旨い!というのもあれば、
心が豊かになる旨さ、もある。





また、同じものでも、
話が弾む気の置けない間柄で食事をすれば、楽しい時間をも含めて

「旨い!」

となる。



同じものを食っているのにも拘わらず…








身体に痛みがあるとする。





痛みは客観的に定量化出来ないが…







100ある痛みのうち、
50取れたとして、




「50も痛みが減った。良かったヨカッタ。」



と感ずる人もいれば、






「まだ50も痛みが残っている。」





と思う人もいる。







毎日が完璧に過ごせないと満足出来ず不満ばかりの人もいれば、



朝、とりあえず、
お日様が昇って青空ならば、それだけで神様に感謝する人もいる…








…とまあ、何を云いたいか、ってこともないのだが…








幸せ、ってのは、
結局は自分の心の有りよう、てなコトで…







ちなみに、あたしは…







もちろん、お金は無いよりはあった方が嬉しいのは事実ですが…







一番は、




「期待されている」


こと、っすかね~







実際は、ホントはどこまで期待されているかは永遠に分からないんで、




「期待されていると勝手に感じている」




と、云えますかな。






もちろん、一方的な勘違いもあるでしょう。







それも含めて、結局

「しあわせは自分の心が決める。」


と。





しあわせ、ってのに慣れちまうと、

しあわせ、ってコトが何なのか分からなくなり、
ずっと幸せを感じられないのかも知れませんな~







当たり前、が、
実は当たり前ではなく、
当たり前であることの素晴らしさに気付いた時、
ホントの意味で感謝出来て、
自分の何かが変わるのかも…





な~んて。