トレーニング、フィジカルコンディショニングの分野に於いては、
様々な新たな「理論」が飛び交う。





本来、「理論」と言えるのは、
ある研究機関に於いて、ある一定数の検体数の検証により、
標準偏差から見ても妥当性がある、
と思われるものが「理論」と認められると推察する。







あ、最初に断っておくが、
民間の個人研究家が提唱する理論を否定するわけでは、
もちろん無い。






先般、中京大学の湯浅教授の言葉を引用して、
「研究は全て、現場の後追いである」
とおっしゃっていたことを書いた。





もちろん、必ずしもそうとばかりは言えないのだが、
湯浅先生のような実績を残している方がおっしゃっていることに意義がある。





つまり、真に「理論」と認められるには、
ある一定数の「数」と、
当然それに伴った「時間」が必要になる。




例えば、いま話題の加圧トレーニングでも、
紆余曲折があり、東大の研究室の研究テーマになり、
様々な検証を経て、
初めて「理論」となったわけである。




誤解の無いように再度言うが、
大学の研究室に認められないと理論ではない、
と言っているのではない。




定義としては、
どうしても「数」、また同時に「時間」は必要になるであろう、と言っているに過ぎない。





私だって過去に、冗談みたいな「理論」を書いている。





実は本人的には少し真面目だったりするが、
誰からもクレームすら来ない。(笑)




つまり、


「そんなもん、理論でも何でもねぇ!」


とか、


「非常に興味深いので、研究テーマにさせていただいて宜しいですか?」


とか、何かの反応が無いと、
世間一般通念としては、「理論」としては通らないのかも知れない…


な~、なんて。







しつこいぐらい重ねて言うが、
個人的に「~理論」て云うのは、全くの自由。





でも、「理論」って云うのも、
結構突き詰めていくと、
結局は過去に既に、体系化されていたりするものに踏襲していたりする事もしばしば。







ただし、過去にあったものの踏襲だとしても、
そこから新たな「考え方」を構築したのは理論と言えなくもない。




これは正に、「考え方」にもよる。









ま、だから、
あたしは安易に「理論」なんて云わずに、
他人の「理論」に乗っかって、世渡りをしていく訳ですが…





ズルッ~







ちなみに、辞書から引いた「理論」に関する事柄を引用しときまひょ~









ことわり【理】
①物事の正しい筋道。道理。条理。②理由。わけ。




ろん【論】
①筋道を立てて考えをのべること。また,言い争うこと。「論をまたない(=特に論ずるまでもない)」②筋道を立てた話や文章。意見。見解。





りろん【理論】
個々の事実・現象などを統一的に説明するために,筋道を立てて組み立てられた知識の体系。筋道のとおった原則的な考え。