表題には全く意味はありまへん。
あたしが好きな、筒井康隆氏の著書の題名、というだけ…
最近、飲んだくれの毎日なんで…
未だ仕事納めではなく…
この時期はさすがに仕事量は少ないのだが、
月曜までチラホラある。
11月から始まったパーソナルトレーナー養成講座の前期が昨日で終わり、
2月から後期が開始。
1月が空くのは、
スキー関係の試合が目白押しな為…
今日は、アドバイザーを務めるフィットネスクラブの業務確認の定期巡回ののち、
某取引先の方々との忘年会に突入。
間もなく一年の業務が終わるが、
あたしの一年がどーだったかは、特に皆さんの興味には無いでしょうから、
割愛することにしまひょー。
今日は打ち合わせの中で、たまたま「接客センス」の話になった。
例えばブティックなどの業態の場合、
恐らく多くの方が、入店して直ぐに店員が付きまとうのを嫌う。
センスのあるスタッフは、
さりげなくお客様の様子を遠巻きに把握し、
他の仕事や他のお客様の対応をしながら、
意識の中には常に置いておき、
そのお客様が他のサイズを探す素振りがあったり、いかにも店員のサポートが欲しそうな時に、
タイミング良く近寄る…
そんなスタッフが、
「接客センス」がある、と定義している。
アスリートにおけるトレーニングも、
筋力や持久力をつけるのはある意味簡単で、
「動き方のセンス」の養成が重要なポイントになる。
この辺の、持って生まれたセンスには個人差があるので、
目指すゴールは同じでも、
そこに向かわせる教育、あるいはトレーニングプランは同じであるはずはない。
前述のブティックの例で言えば、
「店員が張り付くのは嫌がる」
「でも、必要な時はそれを察知し、さりげなく側にいて欲しい」
という感覚について、
「何それ?分かんな~い」
という人には、
そういう感覚を植え付けるのは容易ではない。
では、そのようなスタッフに、
時間が掛かっても、そういう感覚を分からせるようにするか、
そこは諦めて、「ここはこうだから、こうしろ」と何かで業務を固定化するか、
これは会社、店による判断になる。
「接客センス」とはいわゆる感覚であり、
運動感覚と同様、指導者側と一致することは稀であり、
そもそも一致しているかどうかも、
究極的には判断のしようもない。
あとは実際のパフォーマンスをみて、
感覚が一致しているか否か、分かっているか否か、
を「推察」するしかない。
接客業において、
この辺りをどのように教育プログラムに落とし込むか、
大変難しいところである。
ま、同じような「接客センス」を持った人を採用出来れば簡単なことなのだが、
実態はそうもいかない。
採用に手間と金を掛けるのも、
実は結果的には後々のコストが下がる。
センスの一致しない人間を教育していくのは、
不可能では決してないが、
結果としてコストが膨大に掛かることになる。
結局のところ、企業にしろチームにしろ、
「人の育成問題」に尽きる事になる。
そこを、センスを期待するか、
諦めてある程度「型を押しつける」か、
どこかで決めるしかないのかも知れない。
もちろん、「センスを育む」ことは、
自分のチャレンジとしては捨ててはいないのだけれど…
そんな事を改めて考える、年の瀬であったりして…
あたしが好きな、筒井康隆氏の著書の題名、というだけ…
最近、飲んだくれの毎日なんで…
未だ仕事納めではなく…
この時期はさすがに仕事量は少ないのだが、
月曜までチラホラある。
11月から始まったパーソナルトレーナー養成講座の前期が昨日で終わり、
2月から後期が開始。
1月が空くのは、
スキー関係の試合が目白押しな為…
今日は、アドバイザーを務めるフィットネスクラブの業務確認の定期巡回ののち、
某取引先の方々との忘年会に突入。
間もなく一年の業務が終わるが、
あたしの一年がどーだったかは、特に皆さんの興味には無いでしょうから、
割愛することにしまひょー。
今日は打ち合わせの中で、たまたま「接客センス」の話になった。
例えばブティックなどの業態の場合、
恐らく多くの方が、入店して直ぐに店員が付きまとうのを嫌う。
センスのあるスタッフは、
さりげなくお客様の様子を遠巻きに把握し、
他の仕事や他のお客様の対応をしながら、
意識の中には常に置いておき、
そのお客様が他のサイズを探す素振りがあったり、いかにも店員のサポートが欲しそうな時に、
タイミング良く近寄る…
そんなスタッフが、
「接客センス」がある、と定義している。
アスリートにおけるトレーニングも、
筋力や持久力をつけるのはある意味簡単で、
「動き方のセンス」の養成が重要なポイントになる。
この辺の、持って生まれたセンスには個人差があるので、
目指すゴールは同じでも、
そこに向かわせる教育、あるいはトレーニングプランは同じであるはずはない。
前述のブティックの例で言えば、
「店員が張り付くのは嫌がる」
「でも、必要な時はそれを察知し、さりげなく側にいて欲しい」
という感覚について、
「何それ?分かんな~い」
という人には、
そういう感覚を植え付けるのは容易ではない。
では、そのようなスタッフに、
時間が掛かっても、そういう感覚を分からせるようにするか、
そこは諦めて、「ここはこうだから、こうしろ」と何かで業務を固定化するか、
これは会社、店による判断になる。
「接客センス」とはいわゆる感覚であり、
運動感覚と同様、指導者側と一致することは稀であり、
そもそも一致しているかどうかも、
究極的には判断のしようもない。
あとは実際のパフォーマンスをみて、
感覚が一致しているか否か、分かっているか否か、
を「推察」するしかない。
接客業において、
この辺りをどのように教育プログラムに落とし込むか、
大変難しいところである。
ま、同じような「接客センス」を持った人を採用出来れば簡単なことなのだが、
実態はそうもいかない。
採用に手間と金を掛けるのも、
実は結果的には後々のコストが下がる。
センスの一致しない人間を教育していくのは、
不可能では決してないが、
結果としてコストが膨大に掛かることになる。
結局のところ、企業にしろチームにしろ、
「人の育成問題」に尽きる事になる。
そこを、センスを期待するか、
諦めてある程度「型を押しつける」か、
どこかで決めるしかないのかも知れない。
もちろん、「センスを育む」ことは、
自分のチャレンジとしては捨ててはいないのだけれど…
そんな事を改めて考える、年の瀬であったりして…